
悦子はビルの高層階に入居している会社の面接を受けていた。お店を経営していた二人暮らしの父親が病気で倒れ、お店は売却したもののそれでも借金があるため、自宅療養中の父親に代わって悦子が働かなければならなかった。しかし、バブル崩壊後の就職氷河期で、30歳を過ぎた悦子は、なかなか就職が決まらないでいた。
「ワープロは打てますか?」
「いいえ」
「何か特技は?」
「何も無いんです。でも言いつけてください。一生懸命やりますから」
「そういう人なら、高卒を取りますからねぇ。あなたの歳なら、それなりに何かないとねぇ」
面接をした熟年の男は煙草を持ちながら呆れて言った。
「でも、私、困ってるんです。仕事させてください」
「今、不景気ですからね。うちの会社だって困ってないとは言えないわけで。ま、今日のところはひとつお引き取り願えませんか」
悦子は不採用となった。
悦子はこの日もう一社面接があったが、父親のことが心配になり、二社目の面接の前に電話ボックス(公衆電話)で自宅の父親と電話をしていると、電話機の上に誰かが置き忘れた財布が目に入り、紙幣が数枚ちらついているのが見えた。
悦子はついよからぬことを考えてしまい、財布に手を伸ばそうとすると、電話ボックスのガラスを何度も叩く音がした。ハッとして目をやると、直前に電話をかけていた女だった。女は慌てた様子でガラス越しに、電話機の上の財布を指差し「それ、私のです」と、口を動かしながらジェスチャーをしたので、悦子はガラスドアを開けて財布を渡すと、女は「どうもすみません」と、礼を言って去って行った。
電話口で父親が何かあったのか? と、聞いてきたのだろう。悦子は「なんでもない」と言って、用件を済ますと電話を切った。
私、何やってんだろ。悦子が電話ボックスの中で佇んでいると、今度は電話ボックスのガラスドアを100円玉で何度も叩く男に急かされ、悦子は電話ボックスを出た。
二社目のビルの中層階に入居している会社の面接は酷いものだった。
「確かに求人広告は出したんですけどもね。事情が変わりましてね。むしろ人減らしという方針になってしまいました」
面接をした中年の男に、会社都合で求人募集がなくなったことを告げられた。
「じゃあ、ひとりも採らないんですか?」
「お恥ずかしい話ですが……」
「アテにしてたんです。何とかならないでしょうか」
「ま、時代が時代ですから。ひとつご理解ください」
悦子は採用されなかった。
日が暮れて、悦子が足取り重く繁華街を歩いていると、スーツ姿の中年の男に声をかけられた。
「お嬢さん……あ、奥さんでしたかな」
悦子は男の顔を見て立ち止まったが、すぐに歩き出すと、男も悦子と並んで歩き出し誘ってきた。
「いや、お嬢さんですよね。お嬢さんだ。あなたお嬢さんだ。どうです、お茶でも飲みませんか?」
「いや、私……」
「私ね、出張でこちらに来ているんですがね。ひとりで夜を持て余しておりましてね。ね、お茶でもいいし、食事でもいいし、お酒なんかもいいですなぁ。どうです、付き合ってくれませんかねぇ」
「でも……そんな」
「金ならありますよ。あなた次第です。気楽に付き合ってもらえればね。小遣い稼ぎのつもりで」
「困ります。約束があるんです」
悦子は咄嗟に嘘をついて立ち止まった。
「ほんとうですか?」
男が訝る(いぶかる)と、悦子はやにわに横にあった居酒屋を見て、
「ええ、この店で」
と言って、引き戸の扉を開けて店に入り、男の誘いを振り切った。
カウンター厨房の店主が、扉の前に立っている悦子に気がつくと、威勢のよい声で「いらっしゃい!」と、言って「どうぞ。はい、どうぞ」と、扉の近くのカウンター席に手招いた。
悦子が席に座ると、店主はおしぼり皿に乗せたおしぼりをテーブルに置き、注文を聞いてきた。
「はい、何にしましょう」
「焼酎いくらですか?」
「ボトル?」
「一杯」
悦子が人差し指を立てて言うと、店主は親指を折って「400円」と答えた。
「はぁ、じゃあ飲める。お湯割りにしてください」
悦子が肩をすくめて笑いながら注文をすると、「あいよ」と、店主も笑顔で返した。
L字カウンターの一番奥の席には、悦子の様子をじっと見ている女がいた。



















