
2日間風呂に入らなかったら、妻に、
「今夜はお風呂に入って! オヤジ臭い💨」
と、言われ、続けざまに、
「入ってもオヤジ臭いけど😑」
と、本音を漏らしやがって、立つ瀬がないオヤジです。
さて、日本の内風呂率は、1950年代(昭和25〜34年)以前は家庭に風呂がある家は少なく、日常的に銭湯を利用していたが、1963年(昭和38年)に全国の普及率が59.1%(東京都23区は33.1%)に到達すると、内風呂の普及が加速し、1970年代(昭和45〜54年)には団地などの集合住宅においても内風呂の設置が標準化され、2008年(平成20年)、全国の内風呂普及率は95.5%に達し、現在はほぼすべての住宅に内風呂が完備されている1。
日本人は昔から綺麗好きだ。江戸の庶民は毎日のように銭湯に行っていたようで、中には朝と夕に銭湯に行く者もいたという。
わたしも中三の初夏までの自宅は、風呂なし賃貸アパートだったので、毎月曜の定休日を除き、毎日近くの銭湯に行っていた。中学時代はサッカー部に所属していて、特に夏場の練習後や試合後は、砂ぼこりの土ぼこりの汗だくだくの体で帰宅すると、月曜日はアパートの裏の洗濯機が置かれた流し場で、ホースの水をシャワー代わりにして、全身をきれいきれいにした。
ひとつ疑問が浮かんだ。江戸時代の人は、洗髪はどうしていたんだろ? 男は丁髷(ちょんまげ)、女の日本髪は腰まであるロン毛だ。
江戸時代、男女共に毎日洗髪をする習慣はなかった。女はひとりで日本髪を結い直すことは日常的だったが、髪の毛の汚れは梳き櫛(すきぐし)で取っておしまい。洗髪は月に1〜2回だった。
男の丁髷は厄介だった。鬢付け油(びんつけあぶら)でリーゼントのようにガッチガチに固めていたので、洗髪時は元結いを切って髪をほどき、フノリやうどん粉を溶かした水溶液で、髪の汚れや油分をしっかり吸着させてから洗い流さなければならなかった。
また、月代(さかやき)と呼ばれた頭頂部を自力で綺麗に剃り上げて、丁髷を結い直すことが困難だった。
したがって、月代が伸びてきたなぁと思ったら、髪結い床(散髪屋)に行くか、自宅に髪結職人を呼んで、洗髪して結ってもらうのが一般的で、洗髪は女と同じく、月に1〜2回だった。
今だったら、風呂に入って洗髪しないなんてことはないが、当時はそれが当たり前だった。
余談
町奉行所の役人(与力および同心)は、朝湯で女湯に入れる特権があった。理由は男湯での噂話を聞き込み、情報収集に役立てるためだった。
なお、混浴ができたということではない。混浴は禁止されていたので、朝の時間帯を区切り、女湯を止め湯として、役人たちに開放していた。
余談ついでに、与力と同心の違いは、上級武士と下級武士の違い。同心は騎乗が許されていなかった。今の警察組織の階級に例えると、与力は警視正や警部などの管理職になり、同心は巡査長、巡査で、実務や捜査や雑務、将軍や大名が外出する時の警護を担った。
東京に御徒町(おかちまち)駅がある。御徒とは下級武士のこと。江戸時代、御徒町駅周辺には下級武士の組屋敷が多くあったので駅名の由来となった。

- 『アジ研ワールド・トレンド』No.191電子ファイル・他参考 ↩︎

















