東京にはこんなうまいものがあるのか!

 タイトルは、株式会社吉野家ホールディングスで会長と社長を歴任した、“ミスター牛丼”と呼ばれた安部修仁氏が、はじめて吉野家の牛丼を食べた時の驚き。

 福岡県出身の安部氏は、福岡の高校を卒業すると、プロミュージシャンを目指して上京し、R&Bバンドを結成して活動する傍ら吉野家でアルバイトとして働いた。1968年(昭和43年)のことだ。

 しかし、1972年(昭和47年)、初代社長の松田瑞穂氏の推しもあり、プロミュージシャンの道を断念して吉野家の正社員となった。

吉野家の牛丼は安くなかった

 1969年(昭和44年)当時、吉野家のキャッチフレーズは、「早い、うまい」で「安い」はなかった。牛丼並の価格は200円。現在に換算すると、当時の大卒初任給が34,100円、2025年は25万1,000円なので1,480円程になる。

その頃の東京における一般的な定食・食事の価格(※AI による概要)

  • かけそば・うどん:60〜80円
  • ラーメン:80〜100円
  • 定食(大衆食堂など):150円〜250円
  • カレーライス:100〜150円
  • 喫茶店のモーニング: 100円〜150円

価格が高かった理由

 牛肉は近江牛を使用していたから。
 松田氏は、月刊食堂(昭和44年10月号)で、
「近江牛のバラ肉を使っているが、市場にあればあるだけ買うようにしている。東京都内の近江牛のバラ肉は、八○%をウチが押さえている。」
 と、述べていたそうだ。

 近江牛の牛丼なら、安部氏でなくても「うまい!」と、感じたことだろう。食べてみたかったなぁ。

 近江牛を減らしアメリカ産牛肉の割合を徐々に増やし、100%アメリカ産に切り替え、「早い、うまい、安い1」を標榜するようになったのは、安部氏が正社員になった頃だった。

※参考サイト:Wikipedia『安部修仁』
※参考書籍:牛丼の戦前史(ASIN:B07XD81W7Q)

  1. 現在のキャッチフレーズは、「うまい、やすい、はやい」 ↩︎
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