読点(とうてん)備忘録

 文章を読みやすくするために、読点「、」と、文末区切りの句点「。」の句読点(記号)がある。

 しかし、毛筆文では句読点は使用されていない。理由は封建時代、漢文に「レ点」や「一二点」を付けると教養がないとされていたので、句読点も同じ理由から、句読点を使わない文章作成に努めていたのだ。また、句読点は「文を切る・区切る」から、「縁を切る」といった意味合いを連想させ失礼だった。よって、現在でも慶弔のはがきや案内状には句読点は使わず空文字を使う。


 接続詞や副詞の後に読点を付けるのは、小学校でそう習ったからだろう。
 でもね、前文と相反することを述べる場合、下記のどちらが読みやすいだろうか。

  • しかし、もし、わたしがウルトラセブンだったら・・・
  • しかしもし、わたしがウルトラセブンだったら・・・

 わたしは後者ですね。

 また、読点はこんな使い方もできる。

  • 俺が快傑ズバットだ!
  • 俺が、快傑ズバットだ!

 読点を使うことで、後者の方が「俺」も「快傑ズバット」も強調されている。


 うまい文章だと読点は必要ない。例えば、夏目漱石の小説「吾輩は猫である」の最初と次の段落には読点がひとつもないのだ。接続詞の「しかし」や副詞の「ただ」の後にも読点がない。それでいて読みづらいこともなくすらすらと読めるのだ。

 ただ、読点がないと、読んでいて意味不明の文になることもあり、読み返して区切るところが違うことに気が付くことがある。例えば「おやじしんだ」は、2通りの文節区切りがあり、全く意味が異なる。しかし、これだけではどちらなのかわからない。そんな時は前後の文節または文から把握することができる。

  • おやじしんだ。かなしい。
  • おやじしんだ。急ぎガスコンロの火を止めた。

 前者は「おやじ/しんだ(親父、死んだ)」、後者は「おや/じしんだ(おや、地震だ)」。


 読点を使うのは、歌い手がブレスするタイミングと同じように、文が長くなった時の読み手の息継ぎとして付けるのがいいだろう。読点が多いと読んでいて息が詰まる。読点の使うタイミングは、新聞・雑誌・ウェブニュースの記事が参考になるかも。文章ってムズいね。

余談

 26歳の時、同じシステム開発プロジェクトに22歳の男性契約社員がいた。ある日、設計書作成中に、「んー、んー」と、唸っては項垂うなだれたり、椅子にもたれかかっては天井を見上げながら脱力していた。
「どうしたの?」
 と、聞くと、
「俺、プログラムだったらいくらでも書けるんですけど、文弱だから設計書作るの苦手なんですよ〜」
 と、答えた。
「ねえ、文弱の意味知ってる?」
「え? 文章読んだり書いたりすることが苦手ってことですよね」
「・・・シカト」
「違うんですか?」
「・・・シカト」
「えー、教えてくださいよぉ〜」
「設計書、がんばれ」

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