
お盆休み、テレビをザッピングしていたら、ファミリー劇場で第44〜52話の終盤「アルプスの少女ハイジ」が一挙放送されていた。他に見たい番組もなかったので、ながらで見ることにした。
関東地方の「アルプスの少女ハイジ」の本放送は、1974年1月6日〜1974年12月29日フジテレビ日曜日19:30〜20:00に放送され、同時刻の日テレでは、「侍ジャイアンツ」「宇宙戦艦ヤマト」が放送されていた。
- 侍ジャイアンツ(1973年10月7日〜1974年9月29日)
- 宇宙戦艦ヤマト(1974年10月6日〜1975年3月30日)
しかし、ヤマトはハイジに視聴率で惨敗して、再放送で人気に火が点いたというエピソードがある。
テレビ番組の決定権は父だったが、わたしはこれらの本放送を見たいと思ったことがなかった。特に「──ハイジ」においては、女の子が見るアニメという気持ちが強かったので端から興味もなく、再放送も見たことがなかった。「侍ジャイアンツ」「宇宙戦艦ヤマト」は再放送で視聴した。
当時、わたしの日曜夜のテレビ視聴ルーティーンは以下の通り。
- 18:00「いなかっぺ大将」☞「科学忍者隊ガッチャマン」(フジテレビ)
※但し、見たり見なかったり。 - 18:30「サザエさん」(フジテレビ)
- 19:00「ニュース」(NHK)
※つまらん20分間だった。 - 19:20「お笑いオンステージ」(NHK)
※1973年4月8日から日曜日19:20〜19:59
※「てんぷく笑劇場」「減点パパ☞減点ファミリー」と言えば、思い出す人もいるかも。 - 20:00「大河ドラマ」(NHK)
今回「──ハイジ」を見始めた時は、ハイジがフランクフルトのゼーゼマン家からアルムのおんじのところに帰ってきた後だった。
車椅子生活のクララが静養を兼ねてロッテンマイヤーとセバスチャンと一緒にアルプスのハイジに会いに来て、ある日、牛に驚いたクララは立ち上がり、これをきっかけにハイジ、ペーター、おんじの励ましの元、歩く練習をはじめ、歩行ができるまでになる。そして、ハイジとペーターとクララは来春にまたアルプスの山で再会することを約束して、クララはフランクフルトの家へ帰って行き、最終話ハイジとペーター、クララは約束通りアルプスの山で再会を果たした。クララは走ってましたよ。めでたしめでたし完。

見終わった後、アルプスの自然と動植物に囲まれた自給自足のこんな生活もいいものだなぁと思った。
なお、その後のハイジについては、著者は異なるが以下の書籍があった。
- 「それからのハイジ」(著者:シャルル・トリッテン)
- 「私説・アルプスの少女ハイジその後」(著者:阿部照雄)
ハイジファンは読んだのかな?
「アルプスの少女ハイジ」の著者は、スイス人のヨハンナ・シュピリ(Johanna Spyri)。 1880年第1部、1881年続編を上梓した本はドイツ語なので、シュピリ氏はドイツ系スイス人だろう。
- 第1部『Heidis Lehr- und Wanderjahre(ハイジの修行時代と遍歴時代)』
- 続編『Heidi kann brauchen, was es gelernt hat(ハイジは習ったことを使うことができる)』
ハイジの時代背景は1858年以降になる。
1847年にチューリヒとバーデンの間に鉄道が開通し、マイエンフェルトに鉄道が通じたのが1858年。『ハイジ』の物語は、スイスのマイエンフェルトからドイツのフランクフルトまで鉄道が通じていなければ成立しません。
BOOKSTAND(ブックスタンド) 『ハイジ』の舞台と歴史的背景 – NHKテキストビュー|BOOKSTAND(ブックスタンド) 1880年に『ハイジの修業時代と遍歴時代』という題名で出版された小説…
ハイジ、ペーター、クララ、アルムおんじの年齢設定は、
- ハイジ:5〜8歳
- ペーター:11〜14歳
- クララ:9〜12歳
- アルムおんじ:70〜73歳
おんじの年齢には驚いた。50代の設定だと思っていた。
(前略)普段は山小屋附近で牧草を刈り、ヤギの乳でチーズを作り、薪を割り、商売用の木工細工の原料となる樫などを山から伐採して、食器を始め、あらゆる生活用品に加工している。そしてそれらを背負子に詰め、数日に1回の割合でデルフリ村へ降り、食料品や生活に必要な品物を購入・物々交換をするだけの日々であった。(中略)70歳のときハイジと暮らし始める。(後略)
※文末リンク「アルプスの少女ハイジ (アニメ)」参考
どんだけ体力があるんだよ、おんじ。リポビタンD飲んでたな。

第1部が出版された1880年を起点にすると
- ハイジ:1875年生まれ
- ペーター:1869年生まれ
- クララ:1871年生まれ
- アルムおんじ:1810年生まれ
ドイツ統一1871年
- ペーター:2歳
- クララ:0歳
- アルムおんじ:61歳
第一次世界大戦1914〜1918年
- ハイジ:39〜43歳
- ペーター:45〜49歳
- クララ:43〜47歳
- アルムおんじ:104〜108歳
第二次世界大戦1939〜1945年
- ハイジ:64〜70歳
- ペーター:70〜76歳
- クララ:68〜74歳
- アルムおんじ:129〜135歳
おじんは70歳で上記の体力があったので、生きていたのである。自論ね。
彼らは激動の時代を生きたことになり、彼らの晩年は苦労したことだろう。
さて、クララの父ゼーゼマン氏の職業が気になった。日本のWikipediaには、
クララの父親。貿易の仕事で忙しく、パリに出かけているため滅多に家にはいない。そのためか、一人娘のクララを溺愛している。(後略)
と、記述されている。貿易商?
しかし、更新される前は、
クララの父親であり、銀行家。仕事で忙しく、パリに出かけているため滅多に家にはいない。そのためか、一人娘のクララを溺愛している。(後略)
と、記載されていたようだ。
なぜ、銀行家から貿易の仕事に変わったんだ? 銀行家では問題があるのか? そもそも原作にはゼーゼマン氏の職業は何て記載されているのだろう。
原文第1部から「Banker(銀行家)」「Handel(貿易)」「Handelskaufmann(貿易商)」を検索したが、どれひとつヒットしなかった。
また、ドイツ語と英語のWikipediaには実業家としか記載されていなかった。
【ドイツ語】
▼Heidi (Roman)
Herr Sesemann(ゼーゼマン氏)
Klaras Vater ist Geschäftsmann und häufig unterwegs, unter anderem in Paris. Er liebt seine Tochter sehr und ihr Wohlergehen ist ihm sehr wichtig. Auf Anraten des Doktors schickt er die heimwehkranke Heidi zurück auf die Alp.
クララの父親は実業家で、パリなどによく旅行します。 彼は娘をとても愛しており、彼女の幸福は彼にとって非常に重要です。 医者のアドバイスに従って、彼はホームシックになったハイジをアルプスに送り返します。
【英語】
▼Heidi
Herr Sesemann: Klara’s father, a successful businessman who travels often. In some translations “Mr Sesemann”.
ゼーゼマン氏: クララの父親で、よく旅行する成功した実業家です。 訳によっては「ゼーゼマン氏」。
ゼーゼマン氏の職業が銀行家や貿易の仕事と思ったのは、アニメを見た子供達が ”よく旅行をするお金持ち” から連想した憶測だったのだろうか。根拠あるゼーゼマン氏の職業が分かる方はご教示ください。

さて、先にゼーゼマン氏の職業が銀行家だったら問題あるのか? と記したが、実は問題ありだ。当時ヨーロッパで銀行家と言えばユダヤ人だ。ナチスが彼らに何をしたかはいうまでもなく、そうなると、クララの晩年は悲惨なものになった可能性が大なのである。
著者の父親もヨハン・ヤコブ・ホイッサーという名なのでユダヤ人だと思うが、原文はキリスト教色が強いようなので、父親はキリスト教に改宗したことも考えられる。ま、著者は実業家のゼーゼマン氏をドイツ人として描いたと思うけどね。と、どうでもいいことが気になった。




















