「美味しんぼ『杜氏と水』」で登場する日本酒は架空のものだが、同名の日本酒が実在するので、本稿では誤解を招かないよう “杜氏の酒” で進める。
現在YouTubeで無料配信されている「美味しんぼ」の95話『杜氏と水』(本放送では109話)を見た。あらすじは省くが、東京の蔵元が新潟の杜氏を招聘しようとしたら一悶着があり、蔵元の社長が利き水試験を受けるシーンがある。
「イ」「ロ」「ハ」の3つの茶碗に水が用意され、まず、杜氏の酒(純米大吟醸)を飲み、次に3つの水を飲み、どれが杜氏の酒の水なのかを当てるのだ。
水は、3種類用意された。
- 杜氏の酒の水
- 富士山の水
- 京都鞍馬の水
山岡士郎曰く、
「よくできた酒は元の水の性格をそのまま持っているものです。この酒(杜氏の酒)を作ったのはどれか、分かる人には分かるのです」。
社長は杜氏の酒を飲み、
「ああ、いい酒だ。実にいい」
と、感嘆し、「イ」「ロ」「ハ」の水を飲んだ。そして、再び杜氏の酒と水を飲んだ時の評価がこうだ。
「杜氏の酒」を飲み、
この杜氏の酒、最初にふんわりと舌の上に広がって、同時に爽やかな春の風が花の香りを運んできて、吹き抜けるように素晴らしい烽火が立ち上って、鼻腔をくすぐって逃げてゆく。舌の上に残る味はさらさらと解けていって、すっきりと消えてゆく。
「イ」の水を飲み、
まず、この水は、しっかりした味の像を形作る。クリスタルガラスのように実に透明な味。それが消え始める。消え始める。最後の瞬間何の未練もなくふいと後味が消える。その潔さ、素晴らしい味だが杜氏の酒の水の性格とは違う。
「ハ」の水を飲み、
これは、高原の若草の葉に降りた朝露の味だ。柔らかく一切の不純な味がなく、全ての味を包み込み、そしてその味は余韻嫋々美しくたなびいて消えてゆく。これも素晴らしい味だが杜氏の酒の水の性格の味ではない。
と、評価して、残った「ロ」の水が杜氏の酒の水だと当てちまうのだ。
3つの水は、以下の通りだった。
- イ:富士山の水
- ロ:杜氏の酒の水
- ハ:鞍馬の水
この社長、繊細な味覚と鋭敏な嗅覚に加え、人間性も表現力も豊かな詩人ではないか。悲しいかな、わたしにはこのような表現ができない。辛口、甘口、あっさり(淡白)、濃厚、癖のあるなしなどの味覚と、香りが高いとか甘い香りとかの嗅覚の現実的な感想と、後はせいぜい喉ごし云々くらいだ。
さて、日本酒の味の評価で、フルーティー[fruity]がある。酒業界がフルーティーを使い出したのは、普段日本酒を飲まない人を対象とした新規顧客を増やすための戦略だったのだろう。キャッチフレーズも『爽やかな味わいと果実のような甘い香りの日本酒』より『フルーティーな日本酒』の方が端的で興味をそそるものがあるからね。
しかし、お酒を飲んだ人が、
「このお酒はフルーティーでとても飲みやすい」
と、フルーティーだけで片付けられるとイラッとする。フルーティーだけで済ますなんてお粗末ではないか。杜氏に失礼ではないか。全集中の呼吸で味覚も嗅覚も研ぎ澄まし、どのようにフルーティーなのか評価しましょう。
ところで、社長のような味覚と嗅覚の持ち主がいるとしても、詩人のような表現ができる人ってどのくらいいるのだろうか。富士山の水、鞍馬の水を飲んだことがある人は詩人のような感想を持ったのだろうか。もしそうであるのなら、羨ましい限りである。

















