ハイキュー!!

 タイトルは高校バレーボールを題材にしたアニメのタイトル。はじめてテレビの番組表で「ハイキュー!!」を目にした時、どんなアニメなのか分からなかったので「ピカチュウ」と同じイントネーションで「ハイキュー」と発音し、とりあえず見始めるとバレーボールのアニメだったが、イントネーションは「ピカチュウ」なので、何がハイキューなのか分からずにいた。

 すると妻が、
「なるほど、バレーボールだからハイキューね」
 と、ハイキューのイントネーションを変えて言ったことで、漸く「ハイキュー=排球」と理解わたしだった。

 そして、「ハイキュー!!」を見だしたら、なかなかどうして面白く、最初から見たくなりdアニメストアで第一期から見る羽目になり、第三期まで見終わった。白鳥沢学園高校との激闘は熱くなりましたね。烏野高校が勝利した時は見ているこちらもガッツポーズしちまうのだから、高がアニメされどアニメだ。

 さて、過去に一度でもやったことがある球技と球戯を列記してみた。

  • 野球[ベースボール]1872年(明治5年)渡来
  • ドッジボール(避球)1909年(明治42年)可児徳氏と坪井玄道氏が『円形デッドボール』で紹介
  • ボウリング(十柱戯)1861年(文久元年)渡来
  • 卓球[テーブルテニス]1899年(明治32年)渡来
  • サッカー(蹴球)1873年(明治6年)渡来
  • バスケットボール(籠球・籃球)1908年(明治41年)渡来
  • ソフトボール(塁球)1921年(大正10年)渡来
  • ハンドボール(送球)1922年(大正11年)渡来
  • バレーボール(排球)1913年(大正2年)渡来
  • バドミントン(羽球・毛球)1921年(大正10年)渡来
    ※広義では球技として分類される
  • ラグビー(闘球)1874年(明治7年)渡来
  • ビリヤード(撞球)1850年代(嘉永・安政年間)渡来
  • ゴルフ(打球・孔球・芝球)1901年(明治34年)渡来
  • テニス(庭球)1878年(明治11年)渡来

 その他、手打ち(バットもグラブもミットも使わないゴムボールでの野球)、玉転がし、玉入れ、羽根突き、お手玉、フットベースボール、ピンボール、スマートボール、パチンコ。

 すると、列記した一覧を見ていたらあることに気がついた。いずれも江戸後期〜明治・大正期に伝来しているのに、漢字表記は「野球」と「卓球」だけだったのだ。

 決してこれからの長文を読ませるために仕込んだわけでもトラップでもない。皆さんもいかがでしょうか。一覧の「野球」「卓球」以外で漢字表記を普段使うことはまずないのではないでしょうか。

「彼は十柱戯がうまいよ」
 と、言われたら、
「”じっちゅうぎ” ってなんですか?」
 と、聞き直してしまう。

「彼女は蹴球のプロ選手だ」
 と、言われたら、サッカーでいいじゃんと言いたくなる。

「孔球で100切ったよ」
 と、言われたら、なんじゃらほいだ。
 他も同様のことが言えると思う。


 日本の野球は、1872年(明治11年)アメリカ人教師ホーレス・ウィルソンが第一大学区第一番中学(後の第一高等学校)で教えたことが始まりで野球部が創部された。社会人野球チームの始まりは、1878年(明治11年)創部の新橋アスレチッククラブ。

 明治・大正期において、東京・関西の大学に次々と野球部が創部され、対抗戦も行われるようになり、次第に全国の学校にも普及していった。

 そして、1934年(昭和9年)には職業野球(プロ野球)の興行もはじまり、昭和前期(至1945年[昭和20年])までには、今の選抜高等学校野球大会、全国高等学校野球選手権大会、東京・関西六大学野球連盟大会等々開催されるようになり、戦後も観るにしてもやるにしてもスポーツといえば、大凡野球か相撲だった時代が続き、「巨人・大鵬・卵焼き」、大阪では「阪神・柏戸・目玉焼き」という流行語もできるくらいだったので、「ベースボールをやろう」「ベースボール観戦に行こう」より「野球──」がしっくりくるのだろう。

 ただ、昨今は日本人大リーガーも増え、BSでは大リーグの試合を放送したり、マスメディア報道も多くなったので「ベースボール」を口にすることが増えた。

 屋外(グランド)のチーム球技として、野球、サッカー、ラグビーが挙げられるが、野球は後者2球技と比較すると接触プレイがほとんどなく怪我をすることが少ない。攻撃中は打者以外はベンチで休めるし、守備もピッチャー、キャッチャー以外の野手はボールが来なければ構えているだけでいいので運動量も少ない。ルールも後者2球技より分かりやすい。故に、野球はサッカー、ラグビーより娯楽性が高い。

 ソフトボールも屋外チーム球技になるが、伝来は野球より半世紀ほど後発だ。ソフトボールより野球のバッティングセンターが遥かに多いように、打った時の爽快感は野球のほうがあるだろう。また、観ていて醍醐味を感じるのも軟式野球より硬式野球、軟式テニスより硬式テニスと同じようにソフトボールより野球かな。

「野球」の名付け親は、明治~大正時代の教育者で野球選手でもあった中馬庚氏。正岡子規は誤り。「低球」を使っていたこともあるが、テニスの「庭球」と紛らわしく、1894年(明治27年)「Ball in the field」を元に「野球」を発案した。

余談

 グローブって呼ぶ? グラブって呼ぶ? グローブって呼ぶのは古い人間みたいで、最近はグラブって呼ぶ人が多いようだが、ヤフオクのヒット件数はグローブの方が多かった(投稿日現在)。

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 卓球が日本に入ってきたのは1899年(明治32年)岡山の第六高等学校で、1900年(明治33年)には横浜で行われていたという記録があるようだ。そして、1902年(明治35年)東京高等師範学校教授の坪井玄道氏がイギリス留学からの帰国時にルールブックとラケット、ボール10セットを持ち帰ったのが契機となり、東京の大学(旧制高校)・横浜の高校を中心に全国へ普及していった。

 今でも温泉卓球ができるホテルや旅館がある。街には卓球場や卓球教室もある。わたしも子供の頃、地元の卓球場で友人らと卓球を楽しんだ時期があった。卓球は明治から連綿と続く庶民の娯楽でありスポーツなのだ。

「卓球」の名付け親は、宗教大(現・大正大)の千々和宝典(華頂寺第三世住職千々和寳天上人)氏。1918年(大正7年)年、卓上で行うことと「卓越」にも通じる良い字だということから「卓球」と名づけた。

 なお、Wikipedia『卓球』には、

山田耕筰の著作によると、より早い1901年には「岡山で卓球をした」という記録もある。[山田耕筰著作全集3 株式会社 岩波書店 2001年 P667]

 と、記載されているが、卓球と命名される前は「ピンポン」と呼ばれていたので、「──ピンポンをした」の誤りだと思う。それを裏付ける証拠として、同氏自叙伝『若き日の狂詩曲』には「ピンポン」と記述されていて、岡山市門田屋敷の三友寺には『ピンポン伝来の地岡山碑』がある。

 日本人が「テーブルテニス」と口にすることがないのは、「テーブルテニス」と「卓球」がほぼ同時期に命名されたからだろう。先に記したとおり、日本に伝来した時は「ピンポン」だった。しかし、第一次世界大戦後にアメリカの業者が「ピンポン」を商標登録したため、アメリカのピンポン協会はテーブルテニス協会へ改名した。これに伴い、日本も「ピンポン」改め「卓球」になった。つまり「テーブルテニス」という呼び名が日本に普及する余地がなかったのだ。
「テ、テーブルテニス!? てやんでえ、こちとら卓球よ」って感じ。

ミスター卓球

 中国は卓球王国だ。日本人選手も王国の胸を借りに中国合宿遠征をする。しかし、その礎を築いたのはミスター卓球と呼ばれた荻村伊智朗氏であることは覚えておきましょう。因みに卓球の発祥地はエジプト、フランス、インド、イギリス説があり、インド説が有力だっだりイギリス説が有力だったりとまちまちだ。

ペルーは泣いている

 バレーボールペルー女子代表チーム。1960年代半ば辺りまでは最弱といってもいいほどの弱小チームで現在の世界ランキングも「中の上」辺りだ。しかし、1965年に加藤明かとうあきら氏が監督に就任すると、1968年のメキシコ五輪ではチームは4位入賞を果たし、1970年代は南米で最も強いチームにし上がり、1980年代は世界屈指の強豪チームになった。Wikipedia『加藤明』には同氏が死去した時のことを以下のように記載している。

1982年、ウイルス性肝炎を発病しリマ市内の病院で死去。49歳没。翌日のペルーの新聞では、『ペルーは泣いている』『ペルー人といってもいい日本人』などの大見出しをつけて加藤の死が報じられ、加藤の葬儀には5万人のペルー国民が参列した。

 以上、なんの脈絡もなくつらつらと記してしまったが、一応タイトルに関連するバレーボールネタで終えたのでご容赦ください。

 それにしても外国語は何から何まで日本語訳にしちまう日本人のがんばりはすごいと思う。きっと言葉遊びが好きな日本人のさがなのだろう。

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