『舟を編む(三浦しおん著)』で荒木と真締が問答するシーンがある。
「君は右を説明しろと言われたら、どうする?」
「右。方向としての右ですか? それとも思想としての・・・」
「方向の右だ」
「箸を使う方と言うと左利きの人を無視することになりますし、心臓のない方と言っても心臓が右にある人もいるそうですから・・・」
と、考えながら、真締は、
「体を北に向けた時、東にあたる方角」
と、答えた。
ネットでも『右』は以下の説明をしている。
- 相対的な位置の一つ。東を向いた時、南の方。また、この辞典(岩波国語辞典)を開いて読む時、偶数ページのある側を言う
- 正面を南に向けたときの西側にあたる側
- 御所(京都)から見て東西に二分したときの西
- 天皇は北方を背に座するから。相撲でも正面から見て左が東方、右が西方
方角を使った説明は試験の模範解答だ。これらの説明で果たして幼児たちに理解してもらえるのだろうか。
「ママ、みぎってどっち?」
「体を北へ向けた時、東に当たる方角だよ」
と、説明しても、
「国語辞典を開いて読む時、偶数ページのある側だよ」
と、説明しても、
「きたってなに? ほうがくってなに? こくごじてんってなに? ぐうすうぺーじってなに?」
と、更に質問が増えそうだ。
小学校入学間もない頃、担任の先生は教室で生徒を背にして黒板側を向き右腕を上げて、
「先生が手を挙げている方が右です」
と、教えた。わかりやすい説明だったが、今考えると腕が無い人には不快感を与えそうなので微妙だ。
わたしは母から、
「お箸を持つ方が右」
と、教わった。3〜4歳の頃だったがサルではない。左手で箸を持つ人を見て、両手とも右なの!? なんて思うこともなく反対側は左と理解した。馬締が言うように左利きの人を無視した説明だったが、母世代は箸は右手で使うものと教わったので、そう説明したのだろう。左利きは幼少の頃に親から箸は右手で使うよう矯正された人もいたと思う。
幼児の中には、左手で箸を持つ人を見たら、「この人は左手が右なんだ」と思うこともある。
「右手を挙げて」と聞き、幼児が右手を挙げた後に、腕を下ろさせ180度回転させて後ろを向かせ、「右手を挙げて」 と聞くと、左手を挙げることもある。
テーブルにふたつのコップを横に並べて置き、「右はどっち?」と聞き、幼児が右のコップを指差した後にコップを左右置き換えて、「右はどっち?」と聞いたら、左のコップを指差すこともある。
模範解答かつ幼児にも理解でき、幼児が幼児に教えられる、非の打ち所がない『右』のうまい説明はないものだろうか。
ところで、真締は賢い人だと思った。荒木が右の説明を聞いた後に続けて、
「では、シマはどう表す?」
と、質問をすると、真締は、
「ストライプ、アイランド、地帯のシマ」
と、選択肢を聞くのだ。
「アイランドの島だ」
「周りを水に囲まれた比較的小さな陸地でしょうか。いや、それじゃ足りない。江ノ島は一部が陸と繋がっていながら島だ・・・」
と、真締が説明を考えていると、荒木は、
「もういい、十分だ」
と言って、営業部の真締を辞書編集部へ引き抜いた。
わたしだったら「シマの説明をしろ」と言われたら、頭は「島」と決めつけ、その説明を考えたことだろう。

















