
わたしは今も昔も読書家でもなければ、読書を好物にもしていない。見た目も文学派タイプではないので、仮に「読書は好きですよ」なんて口にしたら「うそだろ!?」と、疑いの目を向けられるのが必至で、「読書の秋ですね」と言われたら「食欲の秋でしょ」と、速攻で反論するほど読書には縁遠く、実のある読書は数える程度の記憶しかないので、当たり前に愛読書もなければ、贔屓の作家も著者もない。
よって、10年前まで所有していた高々600冊ほどの文庫本や単行本は、当時住んでいたマンションが狭い間取りだったのと、引っ越してきた時の荷物が多過ぎたため、室内には置き場がなくベランダに放置していたが、やがて邪魔に感じるようになり、30Lサイズと60Lサイズのキャリーケースに本を詰め込み、近くにあった古本屋まで5往復して持って行き、
「買取賃は要りませんから」
と、言うと、店主は、
「え、いいのですか!? こんなにたくさんいいのですか!?」
と、査定額をメモっていた手が止まり、目を見開き驚いていたが、ありがとうございます、ありがとうございますと無料であっさり引き取ってくれて、後々になってから、ん〜1冊10円で買い取ってもらっても6,000円にはなったなぁと後悔はしたが、本を手放したことには後悔の念が押し寄せてくることは一切なかった。
しかし、あれから10年経つと、それとも人生の節目の還暦間近になったせいなのか、ふと昔読んだ本のことを思い出すことがあり、今一度読み返したくなることもあるのだ。そんな時は本を手放すんじゃなかったなぁとため息が漏れ、仕方なく改めて電子図書版の本を購入してスマホやタブレットで読むのである。
さて、タイトルは遠藤周作のエッセイ集の本の題名。わたしのことではない。
高校時代、通学に京成本線を利用していたが、自宅最寄駅が京成八幡駅だった。当時同駅は京成百貨店と連結されていて、切符売場側の改札口を出て正面の数段の階段を上ると京成百貨店3階の出入口があり、4階に本屋があった。
時折、下校時にぶらっとその本屋に立ち寄り、目を引く題名の本があると、裏表紙等に書かれたあらすじを読み、気になると3〜4頁立ち読みをして面白そうだなと思うと買っていたが、タイトルの本は、
『わが青春に悔いなし』か・・・ん?
悔いあり!?
と、二度見したのを覚えている。
そして、作家が “違いがわかる男” のコーヒーのCMに出演したことがある狐里庵先生こと遠藤周作だったことと、題名が青春ど真ん中の高校生だったわたしになんとなく似つかわしく思い、あらすじに目を通しただけで衝動買いしたのだ。
内容は、青春を怠惰に過ごしている若者を戒める辛辣な本でも、青春を謳歌できない若者に声援を送る本でも、太宰治の『人間失格』のように読者の心情に訴えかける小難しい本でもなく、単に遠藤氏自身の浪人時代(三浪)、大学時代、酒場、恋愛、日常などのエピソードが綴られたエッセイ集だったが、どれもこれも一応に面白く、読み終わった後は同氏の『ぐうたら』シリーズのエッセイ集も何冊か購読し、終いにはエッセイ集だけでは物足りなくなり、試しに『灯のうるむ頃』も購読したが、この小説は泣けたなぁ。因みに『海と毒薬』や『沈黙』など、同氏の本道の小説は一切読んでいない。読む気も起こらなかった。読書好きじゃないので。
さてさて、先日なんかの拍子で、急に『わが青春に悔いあり』が読みたくなったのだ。しかし、件の通り所有していた本は、全て古本屋に上げちまったので、電子図書版を購入しようとしたら、電子図書化されてなく、ならばAmazonで本を購入しようとしたら、同書は絶版になっていて中古本が複数出品されていたので、その中から良さげな評価の物を購入したのである。
40数年ぶりに同書を手にしてニンマリ。しかし、さて読むかとページを開いてびっくり。
文字がちっちゃい💨
そうそう、この頃の文庫本の活字は今より一回り小さく、1行の文字数も多かったんだよなぁと思い出した。
そして、何も考えず自然と、本に親指と人差し指を押し当ててピンチアウトしちゃうのだがら、わたしには電子図書版の方がいいようだ。

















