わたしが小4の時、居間でテレビを見ていた母に、
「なんで “辻褄が合わない” ことを “矛盾” っていうの?」
と、聞いたことがあった。
それは、現在の小4の学力水準は知らないが、当時の小4の会話で “矛盾” なんて言葉がでることはなく、わたしの遊び仲間に “矛盾” と言う言葉を知っているのがいたら、一目も二目も置かれる存在になっていたであろうある日、担任が生徒の言い訳に対して、
「矛盾したことを言うな」
と、叱ったことがあり、わたしはその時、”ムジュン” ってなんだ? と、辞書で調べ、”辻褄が合わないこと” と、知ったのだが、なんで、”矛盾” というのだろうと母に質問したのだ。
しかし、母はしばらく考えていたが途方に暮れちまった。分からないのなら、「分からない」でも「知らない」でも、素直に言えばいいのにと思ったが、母は親としての威厳を保つために、思春期前の少年の息子にはそれが言えなかったのだろう。やがて、苦し紛れに、
「矛と盾だから」
と、しれっと答えたが、すぐさま気まずい笑みをわたしに向けてきたのだ。
ところが、わたしはわたしで、矛盾を訓読みにしただけのあんぽんたんな回答にモヤモヤっとした気持ちはあったものの、
「ふーん」
と、納得して、しかも、友人らに、
「辻褄が合わないことを矛盾っていうのは、矛と盾だからなんだよ」
と、自慢げに教えてあげていたのだから、“親が親なら子も子“ を絵に描いたような母と子だったと思う。
そして、わたしが “矛盾” のほんとうの意味(由来)を知ることになるのは、中1の漢文の授業だったが、そのことを得意げに母に教えてあげたら、悪びれることもなく、あら、そうなの。って感じの「へぇー」だけが返ってきたのを覚えている。ある種のできた母親だった。
その昔、中国の楚の国に、盾(剣や矢を受け止める防具)と矛(剣の一種)を売っている人がいました。彼は、「私の盾は堅くて、どんな矛も突き破ることはできない」と言う一方で、「私の矛は鋭くて、どんな盾でも突き破ることができる」とも宣伝しています。そこである人が、「子の矛を以もって子の楯(盾)を陥とおさば、何如(おまえさんの矛でおまえさんの盾を突いたら、どうなるのか)」と尋ねると、その商人は答えに詰まってしまったということです。

なお、「辻褄を合わせる」とは着付けから生まれた言葉で、衽線が折り重なるところを「辻」と言い、「褄」は裾を差し、着物の辻は衽線が折り重なる上下が十字になるように、褄は裾がちょうど良い長さになるように身丈を合わせて着ましょう。という意味だ。

















