
ネットで「欲望の経済史〜ルールが変わる時〜」を観た。今年1月にテレビ放送された、『千年近くの壮大な経済史を欲望という視点から捉えた異色ドキュメント』6回シリーズの番組で、なかなか興味深い内容だったので、一気に全編を視聴してしまった。
- 第1回 時が富を生む魔術〜利子の誕生〜
- 第2回 空間をめぐる工房〜グローバル化と国家〜
- 第3回 勤勉という美徳〜宗教改革の行方〜
- 第4回 技術が人を動かす〜産業革命からフォーディズムへ〜
- 第5回 大衆の夢のあとさき〜繰り返すバブル〜
- 第6回 欲望が欲望を生む〜金融工学の果てに〜
一言で感想を述べると、カトリックは有り余った富(蓄財)は協会へ寄付することが良しとされ、蓄財は悪とされていたが、16世紀の宗教改革でローマ・カトリック教会から分離したプロテスタントにより、富を蓄えても良しとなり、現在の経済ルールが確立されたってところかな。
キリスト教では「貸したお金に見返りを求めるな(ルカによる福音書)」とされ、ほとんどの宗教では利子を取ることは禁止されていた。
しかし、ユダヤ教だけは「異邦人には利子を付けて貸し付けてもよいが、あなたの兄弟に貸すときには利子を取ってはならない(申命記23章20)」とされ、ユダヤ教徒以外からは利子をぎっていた(金貸し)。
番組で取り上げられていた、メディチ家は銀行業(両替商)で大成功を収めるが、協会法を遵守して利子は取らなかった。為替手形を考えだして財を成した1のである。
カトリックでは、秩序が重んじられ社会が動かないことを良しとしたが、プロテスタントは社会の発展を望んだ。誠実かつ勤勉に働き、他者の利益にも献身的になりなさいということで、現代では蓄財できたら投資しなさい=経済発展に貢献(献身)できるという考えだ。
主従関係
- カトリック:神様→協会→聖書→信者
- プロテスタント:神様→聖書→協会→信者
番組では、宗教と経済との関係に触れていて、2009年ギリシャの財政赤字を端に発したユーロ危機でヨーロッパに信用不安が広がったが、PIIGSの国々にはある共通点があり、ポルトガル、アイルランド、イタリア、スペインはカトリック、ギリシャはギリシャ正教でプロテスタントではない国々だったのである。
ほんとかよ!? 自分でも調べてみたが、確かにカトリック系の国々だった。また、カトリック系の国々は発展途上、開発途上の国が多かったので、宗教と経済は切っても切れない密接な関係にあるのかもしれない。
こんな見方もできる。神様は除いて、聖書=憲法、協会=国家権力(法律)、信者=国民に当てはめて考えると、憲法より国家権力が上の国って、やっぱりやばいですな。
カトリックとプロテスタントの全体比率
- フランス:52.6%、5%未満
- イタリア:81.2%、5%未満
- カナダ :41.4%、20.2%
- ドイツ :31.6%、38.2%
- アメリカ:23.2%、26.2%
- イギリス:13.6%、51.3%
※先進7か国(G7)の前項18歳以上男女1,000サンプル程度の回収を基本とし意識調査結果
なお、日本は無宗教が半数を占め、仏教が34.9%と一番多いが、神仏混淆(神仏混合)のなんでもOKおもてなし雑食民族国家である。


- 1397年メディチ家が銀行商会を設立。1410年ローマ教皇庁がメディチ家が銀行業を認可。メディチ家はバチカンの財務管理者となり、全ヨーロッパからローマ教皇庁に集まる莫大な資金の管理(バチカンに代わって上納金を一時的に預かる)を独占的に担うことになる。為替手形の手数料と各国の王様への資金の貸出利息を得る。そして、バチカンには定期的に利息の一部を寄付という形で上納する。つまり、ローマ教皇庁がメディチ家との利害関係が一致しただけで、メディチ家が利息を取っていることに目を瞑ったってこと。 ↩︎
















