騎馬戦赤組総大将をやった

 わたしが小学生の頃は、運動会の競技種目に小5、6の男子が参加対象の騎馬戦(川中島の合戦)があった。

 しかし、父兄たちが騎馬戦は危険なので競技種目から外せと学校に訴えだし、年々騎馬戦を運動会の競技種目から外す小学生が増えだした時期でもあり、わたしが通っていた小学校でも、わたしが小6の時の運動会が最後の騎馬戦で、翌年の運動会からは競技種目から外された。

 わたしは運動会では、小1~5まではリレーの選手、小5のときは応援団にも選ばれたが、小6ではリレーの選手にも応援団にも選ばれず、小学校最後の運動会は鼓笛隊のアコーディオン担当だけで他は出番がないなぁと少々落胆していた。

 ところが、運動会の1週間ほど前に、6年生の学年集会の後、4組のK君がわたしのところに来て、
「騎馬戦の赤組総大将のチームに入れよ」
 と、誘ってきたのである。。

 K君とわたしは、小1、2の時に同じクラスで、小3からは別々のクラスになったが、小4まで土曜日の放課後になると、近所の空き地で草野球を楽しんだ仲だった。そして、小5、6はわたしもK君もサッカー部のレギュラーとして活躍したものだった(自画自賛)。

 K君は、やや肥満体型で、駆け足はあまり速くなかったが、それを除けば、スポーツ(球技、水泳、相撲)は得意で、頭も優秀。友人たちの信頼も厚い、リーダーシップのある文武両道の男子だった。

 そんなK君から、騎馬戦総大将のチームに誘われたのだから嬉しくないはずがない。断る理由も全くない。小学校最後の運動会は、出番が少ないと落胆していたわたしのボルテージが、一気に上がったのは言うまでもなく、二つ返事で快諾した。

 K君の話しでは、1組のT君が、「担任から各クラスから1名を決めて、赤組総大将のチームを作るように言われた」と、4組のK君に話し、K君は3組のわたしに白羽の矢を当ててくれたのである。

 余談だが、小4までは、1クラス42〜3名で6クラスあったが、小5に進級する時に新設校ができ、小5までの生徒の1/3が転校し、小5と小6の2年間は4クラスだった。また、運動会の紅白はクラス単位でなく、クラスの半分ずつ紅白に分かれていた。

 総大将チームの4人が集まり、誰が騎乗するかの話しになった。すると、T君がわたしを指名して、すんなり決まったのである。理由はわたしが4人の中で一番身長が低く、馬は大きいほうがいいだろうということだったと思う。

 残念だったことは、馬担当のK君が他のメンバーより身長が低かったため、肩が揃わなかったのである。そのため、K君は、
「二番旗にまわるよ」
 と、退いたことだった。
 よって、わたしを担ぐ馬担当は、1組のT君ともうひとり、2組からひとりの3人になった。

 さて、総大将になったからにはりっぱな兜を作らなければならない。いや、作らなくてもよかったのだが、わたしが小3の時の運動会で見た6年生の総大将の兜がりっぱでかっこよかったのを覚えていて、私もそれを見習いたいと思ったのである。

 数日後、兜を作るため馬担当の3人が私の家に集まってくれた。まず、兜は何で作ろうかと考え出した。体育帽では柔らかすぎで兜鉢を付けられない。硬すぎず柔らかすぎず帽子になるような代替物はないかと、みんなで考えあぐねていると、T君が、
「ドッジボールのボールを半分に切って、兜にすればいいんだよ」
 と、提案してきた。

 しかし、肝心のドッジボールがない。また、持っている友人がいたとしてもボールを半分に切らせろと言ったら、「イヤだ」と言われるのは目に見えている。
「学校からひとつ持って来ちゃおうか」
 と、言い出す友人もいたが、それはまずいだろうと途方に暮れた。

 すると、そんな光景の輪で、ひとり黙〜って様子を見ていたT君が、しびれを切らしたのか、
「しょうがないな、俺、ドッジボール持っているからそれを使おう」
 と、言い出したのである。

 わたしは、だったら最初に言えよと、思ったが言葉にすることはしなかった。
「ほんとにいいのか」
 と、聞くと、
「いいよ、もう古いし、使わないし」
 と、T君はなんの躊躇いもなくさらっと答えた。

 早速、T君が自宅に戻り、持ってきたドッジボールを半分に切り兜鉢を作った。それをわたしが被るとみごとにフィットした。

 兜鉢の次は前立てと襟の作成だ。どんな形にしようかと、日本史の本や戦国時代の本を参考にして、オーソドックスな鍬形くわがたにすることになった。
「(前立てと襟は)なんで作る?」
「鉄」
「鉄は切れないし、ドッジボール(兜鉢)にひっつけるには重すぎる」
「プラスチックを切って作れば?」
「鋭利な部分もあるからあぶない」
「段ボールはどうだ?」
「段ボールいいじゃん」
 と、言うことになり、近所の八百屋さんから段ボールをただで頂戴してきた。

 歴史本の兜を見ながら段ボールを同じような形に切り取り、前立てと襟を作った。色塗りにはペンキを使い、金色をベースに絵柄は黒色で書いた。紺色のボールも黒ペンキで塗る予定だったが、
「乾きが悪いし、乾いた後もベタベタと手にペンキが付くからやめた方がいい」
 と、T君の助言でボールに色を塗るのは断念した。

 前立てと襟の色を塗り終わり、乾いたところでいよいよ兜鉢のボールに接着。確かガムテープを使ったような気がする。

 完成後、私はその兜を冠ってみた。
 立派だった。
 格好よかった。
 嬉しかった。
 運動会が待ち遠しかった。


 運動会当日、兜はT君が預かるというので彼に任せた。T君は自分の応援席の横に兜用に席を用意して、そこに兜を置き大事そうに見守っていてくれて、わたしは時々T君の応援席を覗きに行ったが、T君の担任や他の先生が、
「うわぁー、すごいねぇ」
 と、口ぐちに誉めていたのを覚えている。

 わたしは、騎馬戦の競技までが待ち遠しく、ワクワクソワソワしていたのだか、午前の部が終わり、昼食も済ませ午後の部が始まった頃、事件が起こった。

 T君が血相を変えてわたしのところに来て、
「大変だ! 炎天下の中、兜を日向に置いていたのでボールが膨張した。一応日陰に移したけど、元に戻らないと思う」
 と、言ってきたのである。

 慌てたわたしは、膨張した兜を冠ってみると、ぶかぶかで片手で兜を抑えながら冠っていないとずり落ちる状態になっていた。

 どーしよ、どーしよと不安げなわたしにT君は、
「体育帽をかぶってその上に兜をかぶればどうかなぁ」
 と、提案してきたのである。

 わたしは言われるがままにそれを試してみると、多少の違和感と不安定感はあったが、片手で押えることはなくなりホッとして騎馬戦の競技を待つことにした。

 騎馬戦のルールを説明すると、4人ひと組で、馬を3人が前方ひとり、左右後方にふたりの計3人で作り、体育帽を被った残りのひとりが騎乗する。そして、紅白に分かれ、取っ組み合いをして、被っている体育帽の取られたり、落馬したら負け。最後まで体育帽が取られずに騎乗している数が多い方が勝ちとなる。

 さて、いよいよ騎馬戦の競技種目の順番がきた。
 わたしは兜を冠り騎乗して、いざ戦場(グラウンド)へ出陣した。入場する時、低中学年の生徒たちが、わたしが冠っている兜を興味深げに見ながら、「すげー」「かっこいい!」「ホンモノ?」など、口々に言っている声が聞こえてきた。

 騎馬戦は3回戦行われた。1、2戦目は紅白に分かれて全員で合戦。3戦目は紅白総大将同士の一騎打ちだった。

 二番旗の前方馬担当だったK君が、わたしの傍にいて終始白組からの攻撃を守ってくれた。2戦目の時、側面から攻撃してきた5年生の生徒に兜の襟の一部をちぎられたが、兜を落とすことはなかった。

 3戦目は、紅白総大将は騎乗したまま戦場(グラウンド)の両端に分かれ待機し、ピストルのパーンという音の合図と共に一騎打ちが開始された。

 前方馬担当だったT君は、気持ちが高揚していたのか、ピストルの合図とともに、
「よーし、いくぞ! うぉー!!」
 と、力み過ぎて全力疾走したため、途中馬がずっこけそうになり、戦う前から勝敗が決してしまうまぬけな結末に終わる危機もあったが、T君はすぐに走るペースを緩め、なんとか持ち直し、白組総大将を目指すことができたのだが、わたしは目前に迫る白組総大将の兜を見て唖然とした。

 白組総大将の兜は、体育帽にノートの紙で作ったペラペラで貧弱の兜鉢がちょこんと貼っ付けてあっただけの到底兜とは思えない代物だったのである。

 こんなヤツに負けるわけにはいかない。
 先手を打ったのは白組総大将だった。右手でわたしの兜を取ろうとした。わたしはそれにすぐに反応して、その手を左手で払うと同時に右手を振り上げるようにして白組総大将の体育帽(兜と呼びたくない)をつかみ取った。

 勝負は一瞬で終わった。
 わたしが白組総大将の帽子を片手に握ったままこぶしを握り締め、両手を高々と上げ、赤組応援席に向かって、
「おー!!!」
 と、奮い立つように勝利の雄叫びをあげると、赤組応援席からも怒涛の大歓声(←大袈裟)が上がった。気持ちよかったねぇ。

 運動会が終わった後、作った兜はどこにいったのか、恐らく捨ててしまったのだと思うが、全く覚えていない。騎馬戦の思い出は、今でも脳裏にくっきりとその光景が浮かんでくる。

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