短かったけど、熱かったぜ、バンド活動

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 高1年の時、同じクラスの友人T(後のボーカル担当)から、
「バンドやりてぇなぁ、キーボード担当でやらねえ?」
 と、誘われた。ジャンルは、R&Bの柳ジョージ&レイニーウッド(以下、柳ジョージ)、ダウンタウンブギウギバンド(以下、DTBWB)、のコピーバンドだった。

 わたしは小2の頃からクラシックピアノを習っていて、当時クラシック一辺倒だった。したがって、柳ジョージと所ジョージの区別もつかず、DTBWBは、“港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ”しか知らないロック無知だった。しかし、誘われてイヤな気分もせず、また興味もあったのだろう、わたしは「やろう」と、返事をした。

 バンド結成までにわたしがやったことは、とりあえず、柳ジョージの曲のレコードを所有するTからレコードを借りたり、テープにダビングしてもらって聴くことからはじめた。DTBWBについても同様だ。

 そして、最初は「ふ~ん」程度だったR&Bが、何度も聴くうちに段々と「いい曲じゃん」「ここのフレーズいいなぁ」「歌詞がいいねぇ」と意識が変っていき、柳ジョージ、DTBWBにどんどんのめり込んでいった。クラシック一辺倒だったわたしにとってはカルチャーショックで、これがきっかけでジャンルを越えた音楽観の広がったのはTのお陰だ。感謝している。

 画してボーカル、リードギター、サイドギター、ドラム、キーボードの5人のメンバーが揃い、「バンド名は何ににしようか?」と、あーでもないこーでもないと決めあぐねいていたが、当時 “西部警察” がTVでヒットしていたことと、風紀に厳しい我が校の頭髪検査や持ち物検査に反発して、「学校名+警察でいいんじゃね?」ということになり、バンド名は、●●警察と安易に決定した。

 初めての練習は地元の楽器店のスタジオだったが、練習後、店長から「宣伝のため」と、メンバーのポラロイド写真を撮ってもらいバント名記載でスタジオの外に貼り出された。すると、後日後学校に知られることになり、ボーカルのTが生徒指導の教師から、
「学校の名前を使っているとはどーいうことだ! 退学だ!!」
 と、脅迫され、Tはそれを真に受けて、
「やべーよ、退学だってよ。変えようぜ」
 と、ビビリまくり、あえなくバンド名をMBS(ミッドナイト・ブルースメン・セクション)に改名した。

 初めてのライブも地元の楽器店のライブハウスで行ったが、3バンドだったか4バンドだったか、ジョイントコンサートだったので、定員150名のライブハウスは、立ち見が出るほどの盛況だった。

 その後も学校の文化祭や全校集会で演奏をするようになり、校内ではそこそこ有名になり、「オレたちって凄いじゃん」と、大きな勘違いをしてしまい、翌正月ライブは600名収容できる市民会館で3バンドのジョイントコンサートを決行することになったのだが、無謀だ=3

 加えて、当日になって、機材等の予算を少しでも安くしようと、リードギター担当のリーダーが、アンプをレンタルしなかったりことが発覚。

「アンプがなければボーカルをはじめ奏者は音を拾うことができないじゃないか!」
 と、メンバーから罵られ、急ぎレンタル業者に依頼してアンプの到着を待つ羽目になった。

 この影響で午前開演が午後になり、観客席には20名ちょっとのお客さんしか残ってなく、散々のライブだった。

 そしてこのことが起因したのかは分からないが、その後、メンバー同士で生意気にも音楽性の違いがあり解散。MBSでの活動は終わった。

 あっという間に通り過ぎて行ったバンド活動だったけど、
『短かったけど、熱かったぜ、バンド活動』
 と、自負している。

 現在、ボーカルのTは3年ほど前からバンド活動を本格的に再開。リードギターの友人も仕事の傍らバンド活動を続けている。両者ともにそんじょそこらのアマチュアとは違うことだけは申しておこう。ドラムの友人はプロのパーカッション奏者に転向しオファーがあれば演奏をしている。

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