
わたしが住んでいる地域では市内小学校相撲大会が年1回開催されているが、わたしが小学生の頃も大会は開催されていた。当時の参加対象は小4~6で、わたしが通っていた小学校では大会2週間前になると校内学年別相撲大会が開催され、上位入賞者が市内相撲大会の選抜メンバーに選ばれた。
わたしは小4、5の時は学年で相撲が一番強く、2年連続で優勝して選抜メンバーに選ばれたが、小6の時は転校してきた大柄で体躯の良い早熟系男子と決勝で対戦し、強烈な付き押しを無我夢中でしのいるうちに体勢を崩し、自ら土俵に両手を付いてしまい準優勝だった。選抜メンバーには選ばれたがくやしい気持ちがしばらく残った。ただ、小6の時わたしは、サッカー部に入っていて、ある理由から相撲大会の選抜メンバーを辞退した。
わたしがサッカー部に入部したのは小5に進級した時だった。新学期がはじまる前の春休みの時、自宅からどこへ行こうとしたのかは忘れたが、川沿いの道を自転車で走っていると、向こうから自転車に乗ったジャージ姿のサッカー部の顧問先生がこちらに向かっているのが見え、先生もわたしに気がつくと、
「おお」
と、言って自転車を止めたので、わたしも自転車を止めた。
「こんにちは、どこ行くんですか?」
「丁度よかった。これからおまえの家へ行こうとしていたところだったんだよ。サッカー部に入れよ」
スカウトだった。わたしは、小4から市内相撲大会、市内陸上大会に出場したり、運動会では小1からずっとクラス対抗のリレー選手だったので、先生もそんなわたしに目をつけたのだろう。因みに水泳は苦手だった。
わたしは、サッカー部顧問先生から直々に誘われたことがうれしくて、それまでサッカーはやったことも興味もなかったが、ふたつ返事でサッカー部に入部することを了解した。
そして、小5の時はゴールキーパーのレギュラーとして活躍(自画自賛)したが、小6になると、何故かゴールを守っているだけのゴールキーパーが面白くない。そもそもサッカーは足でボールを蹴るスポーツじゃないか、わたしはそっちに興味を持つようになったのだ。
幸い、ゴールキーパーはわたしの他にもうひとり一緒に入部した同じクラスの同級生がいた。2つ年上の兄も小学生の頃はゴールキーパーのレギュラーだったので、この同級生は兄と同じゴールキーパーのレギュラーになることを強く切望していたが、最終的にわたしがゴールキーパーのレギュラーになり、彼は1年間補欠で試合に出ることは1度もなかったのだ。
と言うことは、わたしがゴールキーパーを辞めれば、自動的にこの同級生がレギュラーになる。1年間臥薪嘗胆した甲斐があるってもんだ。彼もわたしもウィンウィンではないか。
わたしは、この同級生にゴールキーパーを辞めることを告げると、さっさと足でボールを蹴る側で練習をすることにした。すると、周りからは、
「ゴールキーパーじゃないのか?」
「ゴールキーパーやれよ」
などなど、言われもしたが、苦笑いをして馬耳東風で聞き流し、先生からも、
「おまえはゴールキーパーだろ」
と、半分真顔で言われたが、
「あいつがゴールキーパーやっているからいいじゃないですか、えへっ」
と、言い訳をして、半ば強引に脱ゴールキーパーに成功したのである。
補欠だった同級生はハツラツとして正ゴールキーパーとしてゴールを守る練習をした。しかし、神様って意地が悪いのかな、小6の時に熱血漢溢れる生徒が入部してきて、その同級生に向かって、
「ゴールは俺が守るぜ! どけどけ」
と、言って、新たなライバルが現れたのだ。最初練習試合では補欠だった同級生が正ゴールキーパーだったが、熱血漢溢れる同級生がゴールキーパーデビューしたら、こちらのほうが上手いじゃないかとなり、補欠だった同級生は小6でも補欠だった。まあ、熱血漢溢れる同級生は態度だけでなく、ゴールキーパーの実力も上だったので致し方ないだろう。
でもね、市内大会最後の試合の時、熱血漢溢れる同級生が怪我をしたのか体調不良だったのか、試合に出られず、補欠の同級生がゴールキーパーをやった。すると、今までとは見違えるほどのいいプレーをしたのだ。きっと2年間補欠だった思いをこの試合にぶつけたのだろう。これが最後の試合だという意識が強かったのだろう。
さて、足でボールを蹴り出したわたしは、サッカー未経験で入部し、ちょっと前までゴールキーパーをしていたため、ボールコントロールがおぼつかず、すぐにレギュラーになれるほど甘くなく補欠だった。一日も早くレギュラーになりたい。わたしは毎日一生懸命練習をした。そんな矢先、相撲大会の選抜メンバーに選ばれたのである。
放課後、相撲の稽古(練習)をすることになると、2週間サッカーの練習ができなくなる。サッカー部のレギュラーからも何人か相撲の選抜メンバーに選ばれている。わたしはその間、サッカーの練習をして少しでも上達し、レギュラーの座を掴もうと目論んだのである。この機会を逃すことができなかったのである。
誰でも何かの目標を立て、成就しようと邁進している時、どんな手を使ってでも周りを蹴落として自分が勝ち取りたいという気持ちが起こることがあるのではないだろうか。卑怯だとかずる賢いとかガキなのに計算高いなどと思われようが、兎に角、このときのわたしはサッカーでレギュラーになることしか頭の中になく、何がなんでもレギュラーになりたかったのだ。
ソリの合わなかった男性担任からは、
「なぜ、相撲大会に出ない? 辞退するとはどういうことだ!」
と、執拗に問いただされ、まるで非国民を見るような目をされたが、話したところで理解はしてもらえないだろうと思い、辞退する理由を話すことはなかった。
それにしてもわたしも頭が悪かった。校内相撲大会はトーナメント制だったので、初戦でわざと負けて、選抜メンバーに選ばれないようにすればよかったのだ。そうすればソリの合わなかった担任から叱られることもなった。ただ、それは不本意でできなかったのだろう。
余談だが、先に述べた通り、水泳は苦手だった。小6のある日、クラスで校内クラス対抗水泳大会の出場メンバーを決めると、後1名がなかなか決まらなかった。率先して出場したいという生徒が少なかったのだ。ソリの合わなかった担任は、
「まったく、このクラスはほんとまとまりがないなぁ」
と、言い出し、あんたのクラスだろと思ったものだった。すると、2年間ゴールキーパー補欠だった同級生が、
「藤泉庵くんがいいと思います」
と、発言したのだ。ゴールキーパーの座をわたしに奪われた恨みでもあったのか? わたしはギョッとしてその同級生を見ると、担任は即、
「よし、藤泉庵出ろ」
と、強制的に出場メンバーに選ばれたのだ。
冗談じゃない! 水泳は苦手なのに。クロールもろくすっぽ出来ないのに、みんなに醜態を見せることになるではないか。笑いものにされてたまるか! このことを水泳が得意だった熱血漢溢れるゴールキーパーの同級生に話すと、
「よし、俺が水泳を教えてやる」
と、言われ大会間近の日曜日、後楽園のプールに行ったが、水泳の練習も出来ないほどの人人人で泳げるどころではなかった。結局水浴びするくらいで練習もせずに帰宅した。そして、大会の日、わたしは仮病を使って学校を休んだのである。
さて、わたしの母校は市内で相撲が強かった。団体トーナメント戦、個人トーナメント戦で何度も優勝を果たしていた。また、大会が近づき稽古開始直前になると用務員のおじさんがせっせと本格的な土俵を作ってくれた。
相撲の稽古は大会2週間前から月〜金の放課後に2時間ほど行い、嫌々やっているメンバーはいなかった。みんな学校の代表に選ばれたという名誉と誇りを持って稽古に励んでいたと思う。
小5の時は、顧問の先生が探してきた市内でちゃんこ屋を営む元十両力士だったアンコ型の体形をしたご主人を臨時コーチとして招き稽古をした。
コーチの指導の下、準備体操に始まり、一丁前に摺り足やシコを踏みをやったが、さずがに又割りはやらなかった。コーチの胸を借りての押し稽古は、コーチの胸が柔らかい布団に身体を埋いるようで、とても気持ちがよかった。しかし、体に鋼鉄の心棒でも入っているのかと感じるほど、どんなに力を入れて押しても、コーチの体が少しも揺れることなくびくともしなかった。とてもキツイ稽古だったが、これが本物のお相撲さんなんだと感動もした。その後はメンバー同士でのぶつかり稽古を行い1日の稽古は終わった。
市内相撲大会2、3日前になると、またまた一丁前に白まわしを絞めて稽古を行った。まわしを付けると引き締まった感覚を覚え、間近に迫る大会の日までより一層稽古に励んだ。
市内相撲大会は、個人トーナメント戦(小6のみ)と団体トーナメント戦(各学校小4、5は2名、小6は1名の計5人制)で各校2チームのエントリーで競い合った。
わたしは小4の時は、団体戦メンバーとして出場して優勝していたが、小5の時は、どういうわけか取り組みに集中できず、本領を発揮できなかった。そして、2回戦目では立ち会いで、相手選手と当たったとき左小指を突き指し激痛が走り、その後の取り組みは、突き指した小指ばかりかばい、もうどのような取り組みをしたのかも覚えていないが、散々な成績だったことは間違いないだろう。
意気消沈して帰宅し、突き指をしたことを母に話して疲れからか居間で寝ていると、突き指をした左小指に軽い痛みを感じた。寝ぼけ眼を開けると、母が突き指をした手にシップをして包帯を巻いてくれているのが見え、わたしは安心してまた眠りについたのである。

















