
わたしが小1の頃、スポーツは『巨人、大鵬、卵焼き』の通り、野球か相撲だったが、同じクラスに大の相撲好きの友達がいた。普段は寡黙で目立たなかった存在だったが、相撲のことになると水を得た魚のように話し出し、ひらがなばかりの国語の教科書はつっかえつっかえちんたら読むのに、漢字だらけの新聞の相撲記事欄だけはすらすらと流暢に読むのには驚いたものだった。恐らく「これなんていう漢字?」と、父親にでも教わって覚えたのだろう。
そして、その相撲好きの友達が影響したのかは定かではないが、学校での休み時間は男子生徒のほとんどが相撲で遊んぶようになり、ある日、強い順に力士の四股名を付けようということになった。
当時の力士は大鵬、玉の海、北の富士の三横綱をはじめ、清国、琴桜、大麒麟、前の山の四大関、関脇以下の幕内力士には長谷川、貴ノ花(初代)、輪島、龍虎、三重の海、高見山、栃東、大受、若浪、陸奥嵐、藤の川など個性豊かな力士が揃っていた。
そして、四股名を決める日の放課後、相撲好きの友達の家に集まり、空き地だかで取り組みをやり強い順に大鵬、北の富士、玉の海…と四股名を割り当てられることになったのだが、この日わたしは通っていた柔道の稽古があり参加することができず、翌日登校すると相撲が強かったわたしへの配慮だったのか「前の山」だった。
しかし、わたしは玉の海が好きだったので、クラスのリーダー的存在だった友達(以下、リーダー)に四股名を「玉の海」に変えて欲しいと頼むと、強ければ変えてもいいと言われ、闘争心に火がついたわたしは、取り組みで連戦連勝し、クラスで1、2を争う強さを見せつけ、玉の海に四股名が変わったのを覚えている。因みにやや肥満体型のリーダーは足は速くなかったが、これを除けばスポーツも勉強もでき、相撲も強かったので四股名は彼が大ファンの「大鵬」だった。
学校の休み時間は10分。2時限目から3時限目は休みは20分だったが、リーダーが三横綱土の俵入りもやろうと言い出し、やってはみたが土俵入りだけで休み時間が取られ、肝心の取り組みがほとんどできず、わたしを含め仲間たちからの不評を買い、土俵入りはすぐに廃止となった。
小2になった年、大鵬が引退した。翌日登校すると、リーダーが自分の席で悲しいそうにうつむいて座っていたのを覚えている。しかし、リーダーはそのまま大鵬の四股名のままだったが、わたしが、
「引退した力士の名前をそのままつけているのはおかしい」
と、言い出すと、まわりの仲間も「そうだそうだ」と同調し、リーダーは四股名を変えるか引退を迫らたのだ。
これにはリーダーもグーの音も出ず突然、
「今日から俺は玉の海だ」
と、言い出したもんだから、わたしは驚き、
「玉の海は俺だ」
と、反論すると、
「おまえは今日から前の山」
と、告げられ、頑として一歩も譲らなかったのである。
わたしは相当ショックを受けた。家に帰ってからこの窮状を母に話すと、我が子可愛さの母は、リーダーの家に電話をしてリーダーと直接話しをしたのだ。
「 リーダーくんがやっていることはおかしくないかなぁ。もし、リーダーくんがうちの子の立場だったらどうする?」と、いうような内容だっと記憶する。リーダーは、「分かりました」と、納得したようで、わたしは元の玉の海の四股名に戻ることができたのだが、子供同士のいざこざに、親が出てくるとは・・・過保護の母親だと思うが、わたしも親に泣きつくとは😅
ただ、相手はリーダーだ。明日登校したら、「親に告げ口するのかよ!」と、言われ、ハチにされるのではないかと不安があり、翌朝はいつもより早く登校して教室の外の廊下でリーダーが登校するのを出迎えることにしたのだ。
そして、今か今かと待っていると、廊下の先にリーダーの姿が現れ、段々と近づいて来ると、わたしは照れくさそうに笑みを浮かべてリーダーを見つめた。すると、リーダーは、ちょっとすまし顔で笑みを浮かべながら手に持っていた木琴のバチでわたしの頭を軽くコンと叩き、教室に入って行き、昨日の母との電話のことは一切話さずそれっきり何もなかったような態度だったのだ。わたしはホッとしてとりあえず一件落着した。
その後、リーダーは引き続き、大鵬の四股名で相撲と取っていたが、仲間らが相撲に飽きてきた頃の小2の秋、PTAの用事だったと思うが、学校に来ていた母から玉の海が亡くなったことを聞かされた。母の話では、その時のわたしの顔はなんとも言えない哀しい表情をしていたそうだ。
大鵬は引退するし、玉の海は亡くなるし、リーダーをはじめ、わたしも仲間たちも相撲で遊ぶのも白けてきて、小3に進級するクラス替えを待たずに相撲で遊ぶことはなくなったが、みんなで相撲を取って遊んだことは、今でも楽しかった思い出として残っている。

















