
今年の元日で結婚十周年(錫婚式)を迎えた。10年前の2015年元旦、妻と市役所へ行き、婚姻届を提出したのを昨日のことのように覚えている。10年は小学1年生が高校1年生になっている歳月になるが、あっと言う間に過ぎた感じと感慨深い気持ちが交錯する。
ふたりとも半世紀を過ぎた歳で結婚したのに、お互いバツなし子なしの初婚なのだから、フッと笑いが出る。
妻は24歳の時に母親から、
「クリスマスケーキがいちばん売れるのはイブや」
と、遠回しに結婚を促され、30歳の時は、
「カレンダーは31日までや」
と、窘められた。女性は出産があるので、母親として心配したのだろう。
妻は、20代、30代、40代前半の3度、摩周湖へ行った。しかし、いずれも摩周湖には霧がなかった。霧のない摩周湖を見た独身は晩婚と言われるそうだ。
また、40代前半に屋久島へ行った。日本の年間平均降水量の2倍を遥かに超える量の屋久島なのに、10時間かけて屋久島・縄文杉トレッキングをした時も雨が一滴も降らなかった。雨が降らない屋久島に来た独身は晩婚と言われるそうだ。
妻は大晩婚のレッテルを貼られたようなもので、なんでやねん💨 だったことだろう。
ところが、縁結びの聖地出雲大社を参拝したら、2年後に不肖わたくしと結婚した。
わたしが結婚相手に妻を選んだ経緯は長くなるので省くが、人生では例え峻険な山だろうが、暴風雨の大海だろうが、やめろと言われてもここを乗り越えなければ、己が前へ進めないことがある。わたしはどんなことをしても妻と結婚したい、そんな気持ちだったと思う。
長期計画とか長期展望は苦手だが、思い立ったら吉日、すぐに行動に起こし、即結果を出したい性格のわたしは、腕力・体力では勝ち目のない妻に玉砕覚悟で猪突猛進した。妻の気持ちを考えることもなかった。
そして、なんとか妻との交際がはじまり、ご両親にもお会いし、10ヶ月ほどの交際期間を経て結婚した。
見極めは相手だけでなく周りも
「結婚前は両目を大きく開いて見よ。結婚してからは片目を閉じよ」という名言がある。
結婚前は相手の人間性を見極めるために大きく目をあけ、結婚後は相手の欠点が目につくものだから寛容な態度を取るのがよい。長く一緒にいる相手だからこそ、相手を思いやって許すことが大切。
と、言う意味だ。
しかし、わたしとしては、この名言は名家や良家同士のご子息・ご息女にあてはまるものであって、現代の恋愛結婚主流の庶民において、「結婚前は両目を大きく開いて見よ」は、相手の人間性を見極めるだけでなく、相手を取り巻く人間模様も見極めておくべきだと思っている。
友達の友達が必ずしも友達とは言い難いように、結婚相手が120%マッチングしたからと言って、相手の周囲が必ずしもフィーリングが合うとは限らない。
わたしと妻は高校の同級生だった。1〜2年はクラスも違い、妻は3年間体育系、わたしは3年間文化系の部活に所属していたので、1~2年の時は接点も接触もなかった。3年の時に同じクラスになり、加えて1年間同班だったので会話をするようになった。
そして、卒業間近になると、わたしと妻はクラス文集の製作メンバーに選ばれ、また担任からは卒業後のクラス会の幹事として、男子はわたし、女子は妻が否応なく問答無用で任命された。
クラス会は2〜3年に1度は開催していたので、その都度妻とは打合せで会い、また、飲み相手としても年に数度は会っていた。
お互いの近況を話したり、時には身内話をしたり、時には妻の飲み仲間・仕事仲間・知人らと飲んだりしたので、わたしは妻の人間性、趣味、家族構成、勤め先はもとより、妻の周りの人たちも大凡の見極めをしていた。
詰まる所、妻を城の本丸に例えるなら、本丸だけでなく二の丸・三の丸・内堀・外堀の見極めもした上で、本丸を攻略したのだ。
その甲斐もあり結婚してから、妻が相撲の “ボンナカ” をすることもなければ、変化前の穏やかな顔から変化後の仁王像のような顔になる大魔神に豹変することもなかったし、
「外堀で闇バイトの指示役をやっていたのか!?」
と、驚愕したり、
「三の丸で夜な夜な半グレたちと酒盛りをしていたのか!?」
と、慄くこともなかった。
なお、ちまちました不満はあるが全て許容範囲内だ。
また、夫婦は言ってみれば他人同士が同じ屋根の下暮らしているので、子供がいようがいまいが、たまには一人になりたいと思うこともあることだろう。
しかし、わたしは四六時中妻が一緒にいても気にならない。結婚相手はお互いに、「気が置けない人」が長続きするのではないだろうか。
妻曰く、「夫婦は一心同体」。体型のことじゃないよ。

















