千葉駅周辺駅いまむかし

 戦前「軍郷千葉市」と言われた千葉市。

太平洋戦争中、千葉市への空襲は数度あったが、米軍が千葉市を目標にした空襲は、昭和20(1945)年6月10日と7月7日(七夕空襲)の2回であった。この空襲で中心市街地の約7割(約231ha)が焼け野原となりました。
※『総務省::千葉市における戦災の状況(千葉県)』より引用

目次

七夕空襲

被害地域

 中心市街地の大部分

主な被害施設

 千葉地方裁判所、千葉郵便局、千葉鉄道管理部、省線千葉駅、同本千葉駅、京成千葉駅、鉄道第一聯隊(椿森)、気球聯隊、歩兵学校(作草部町)、千葉陸軍高射学校(小仲台)


 終戦直後、政府は全国の戦災都市の復興都市計画を作成。事業は1946(昭和21)年から始め、1950(昭和25)年の完成を目標(予算:総経費1億5千万円)とした。

 千葉市も新たに復興事務局を設置し、1948(昭和23)年に「千葉市総合復興計画」を作成したが、復興都市計画は1949(昭和24)年6月に打ち切りとなった。

 そこで、千葉市は戦災復興都市計画の延長として新五箇年都市計画を作成し、事業を縮小して効果が著しい事業を集中的・重点的に施行した。

 「千葉市総合復興計画」において、千葉駅の移転が中心課題で、京成千葉駅、本千葉駅も移転した。

 まず、千葉駅での外房線のスイッチバックを解消するため、線路の移設が計画され、これに先立ち、本千葉駅が1958(昭和33)年2月1日に現在地へ移転。千葉市中央公園にあった京成千葉駅も本千葉駅跡(現・千葉中央駅)に移転し、1958(昭和33)年2月10日に仮開業、同年6月14日に開業。そして、千葉駅が1963(昭和38)年4月28日に西へ0.8kmの現在地へ移転した。

SL天国・気動車王国

 1935(昭和10)年、総武本線の旧千葉駅まで電化されたが、千葉以遠の電化は遅々として進まず、昭和30年代(1955〜1964年)はSL天国、昭和40年代(1965〜1974年)は気動車王国だったようだ。

 旧千葉駅ではSL列車の機関車の付け替えが必要で、千葉機関区(現在の千葉駅の場所)で、機関車を転車台で回転して向きを変え、旧千葉駅に停車している列車と連結していた。この大幅な時間ロスを解消するために現在地に千葉駅を移転した。

 1968(昭和43)年3月28日、成田線が全線電化された。房総東線・房総西線は、部分々々の区間では気動車化されていき、1968(昭和43)年7月13日に千葉駅〜蘇我駅間が電化され、1972(昭和47)年7月15日、蘇我駅〜安房鴨川駅間が電化されて全線電化された。また、路線名も房総東線が外房線、房総西線が内房線に改称された。

 なお、千葉機関区は1961(昭和36)年1月頃廃止となり、その後は蘇我駅の南500mにあった蘇我支区と西千葉公演にあった千葉軌道車区の転車台でくるりんぱしていた(黒砂信号機は待避線)。

補足
  • 電化:架空電車線方式の電車が走ること
  • 気動車:ディーゼル車・ガソリン車のこと
  • SL / 機関車:蒸気機関車(汽車・陸蒸気)のこと

東千葉駅は旧千葉駅ではない

 1965(昭和40)年12月20日、東千葉駅が開業。
「昔は東千葉駅が千葉駅だった」
 という人もいるが、旧千葉駅は千葉市民会館付近にあった。同会館の外には『ここに千葉駅ありき』の碑もある。東千葉駅は旧千葉駅から東へ大凡240mのところに作られた。

東千葉駅は業務委託駅

 業務委託駅とは、鉄道会社の関連会社(ステーションサービスなど)等に、運転取扱を除く全ての業務を委託している駅のこと。(『日本の鉄道駅 – 業務委託駅@Wikipedia』参考)

総武本線の業務委託駅・無人駅

<業務委託駅>
東千葉駅、都賀駅、物井駅、榎戸駅、八街駅、日向駅、松尾駅、横芝駅、八日市場駅、干潟駅、旭駅、飯岡駅、松岸駅
<無人駅>
南酒々井駅、飯倉駅、倉橋駅、猿田駅

停留所ですか? 国鉄千葉駅前駅

 1967(昭和42)年12月1日、国鉄千葉駅の移転に伴い、京成電鉄は国鉄千葉駅前駅を開業した。

 京成電鉄も駅名に苦慮したことだろう。市街地にあった京成千葉駅は半ば強制的に郊外の旧本千葉駅跡に移転させられたが、シムシティのように京成千葉駅ビルをはじめ、千葉京成ホテル、京成千葉駅西口ビルを建て、駅界隈が賑わうようになった。したがって、京成電鉄としては京成千葉駅は改称したくなかったと思う。

 京成千葉駅の北だから北千葉駅では、国鉄千葉駅の北方と勘違いされそうだし、国鉄千葉駅の南だから南千葉駅では、京成千葉駅の北にあるのに何で南なの? と言われそうだ。

 私鉄の京成電鉄は、
「お国の駅前だから、もう国鉄千葉駅前駅でいいんじゃね」
 と、国鉄に一歩譲って、国鉄千葉駅に乗っかる形で分かりやすい停留所みたいな駅名にしちゃったのかな。

 1987(昭和62)年4月1日、国鉄分割民営化に伴い、国鉄千葉駅前駅から京成千葉駅に、元の京成千葉駅は千葉中央駅に改称した。JR千葉駅前駅にしなかったのは、JRが京成電鉄と同じ土俵の私鉄になったからだろう。

西登戸駅

  • 1922(大正11)年3月8日 千葉海岸駅として開業
  • 1967(昭和42)年4月1日 海岸の埋め立てに伴い、西登戸駅に改称

みどり台駅は4回改称

  • 1923(大正12)年2月22日 浜海岸駅として開業
  • 1942(昭和17)年4月1日 東京帝国大学第二工学部(現在の千葉大学西千葉キャンパス)が開設されたため、帝大工学部前駅に改称
  • 1948(昭和23)年4月1日 工学部前駅に改称
  • 1951(昭和26)年5月1日 黒砂駅に改称
  • 1971(昭和46)年10月1日 みどり台駅に改称

 浜海岸駅(現・みどり台駅)、千葉海岸駅(現・西登戸駅)の駅名が物語るように、京葉工業地帯が作られる埋立前の国道14号線(千葉街道)の南側は海岸(内湾[東京湾])だった。したがって、海水浴客・潮干狩りの行楽客は国鉄より海岸に近い京成本線を利用した。また、旧京成千葉駅(現・千葉市中央公園)は市街地にあったので、旧千葉駅より賑わったようだ。

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