下総国・上総国・安房国から現在の千葉県になるまで

 ちょっとした経緯いきさつから、現在の千葉県に旧国名図を重ねた地図を作ってみたくなり、地理院地図を基盤にしてシコシコ作ってみた。なお、『印旛いんば県・木更津きさらづ県・新治にいはり県の成立』『千葉県の成立』『いまの千葉県のかたちへ』の画像は、文末リンクの「千葉県紹介パネル」の画像に追記したもの。

重ね地図の旧国境は100%正確ではありません。ところどころズレがあります。大体こんな境だったとご理解ください。

目次

房総半島の旧国名

 千葉県は北部の下総国しもうさのくに・中部の上総国かずさのくに・南部の安房国あわのくにの三国から成っている。

三国の成立

  • 下総国:飛鳥時代後期(律令時代)
  • 上総国:安閑天皇元年(534年)
  • 安房国:奈良時代718年、上総国から分離

上(北)が下総国、下(南)が上総国の理由

 まず、参考として旧国名の「前・中・後」は、当時の交通路(陸海路)が都に近い方から付けられた。

  • 奥州おうしゅう陸中国りくちゅうのくに陸前国りくぜんのくに
    ※明治元年(1868年)奥州陸奥国むつのくにを五国(陸奥国、陸中国、陸前国、磐城国いわきのくに岩代国いわしろのくに)に分割
  • 羽州うしゅう羽前国うぜんのくに羽後国うごのくに
    ※明治元年(1868年)羽州出羽国でわのくにを南北で分割
  • 越州えっしゅう越前国えちぜんのくに越中国えっちゅうのくに越後国えちごのくに
    ※奈良時代718年に能登国のとのくにが、平安時代823年に加賀国かがのくにが越前国から分離
  • 備州びしゅう備前国えちぜんのくに備中国びっちゅうのくに備後国びんごのくに
  • 豊州ほうしゅう豊前国ぶぜんのくに豊後国ぶんごのくに
  • 筑州ちくしゅう筑前国ちくぜんのくに筑後国ちくごのくに
  • 肥州ひしゅう肥前国ひぜんのくに肥後国ひごのくに

 では、「上・下」は? この時代の古地図「行基図」は南が上だったり東が上だったりとまちまちだった。諸説あるが古代中国の「天子、南面す」に倣って、天皇は大内裏から北を背にして南を向いて執務をした。そして、侍従も天皇=北と認識していたので、天皇に地図を献上する時は北を上にして差し出したので、天皇から見ると北が下になり南が上になった。

 したがって、上総国と下総国は、西国からの移住や開拓が黒潮に乗って海路で外房側からはじまったので、房総半島の南東側が上総国となり、北西側が下総国となった。同じように群馬県と栃木県南部の毛野(けの/けぬ)も陸路で都に近い西南が上野国こうずけのくに上州じょうしゅう)、北東が栃木県北部を加え下野国しもつけのくに野州やしゅう)になった。

 他にも京都市左京区と右京区も右(東方)が左京区で左(西方)が右京区。大相撲も正面から土俵に向かって左が東方、右が西方になる。

別称

  • 房総ぼうそう/房総半島
    三国の総称
  • 総州そうしゅう
    上総国と下総国のいずれか、または両国を合わせて呼ぶ別称
  • 房州ぼうしゅう
    安房国の別称
  • 北総ほくそう
    下総国(旧令制国の範囲と一致するわけではない)
  • 南総なんそう
    千葉県中部及び南部地域の領域を指す地名
  • 東総とうそう
    海匝かいそう地域(銚子市、旭市、匝瑳そうさ市)

隅田川下流の武蔵国と下総国の国境

 隅田川(大川)下流の両国橋が武蔵国と下総国の国境の認識が強いが、正しくは隅田川東岸から東に3kmほど進んだ、錦糸町駅と亀戸駅の中ばにある横十間川よこじゅっけんがわが両国の境になり、江戸時代の利根川東遷事業後に現在の江戸川が両国の境(1610年頃)になった。

例)亀戸天神社
下総国葛飾郡 武蔵国葛西郡西葛西領亀戸村

川向こう

 江戸時代、隅田川下流を挟んで西側を「日本橋両国」、東側を「東両国」の別称として「向こう両国」と呼ばれ、東両国から日本橋両国へ行くことを「江戸に出る」と言っていたようだ。恐らく隅田川下流の東側は江戸町奉行の管轄外だったからだろう。

 松の廊下刃傷事件で呉服橋(八重洲)の館から両国橋を渡った本所松坂町へ転居を命じられた吉良上野介は、
「川向こうに追いやられた」
 と、嘆いたとか。

 なお、「川向こう」とは「対岸」の意味で、「川向こうにいたので火事を免れた」「──難を逃れた」「──助かった」など使われるが、江戸時代の江戸っ子が隅田川下流の対岸地域(東側)を田舎者と蔑む気質があったようで、現代の東京都でも差別や蔑視になり得るので使用は控えましょう。

九十九里浜の範囲

  • 旭市刑部岬あさひしぎょうぶみさき〜いすみ市太東岬たいとうみさき

内房と外房の範囲

  • 内房うちぼう
    富津市富津岬ふっつみさき~館山市洲崎すのさき
  • 外房そとぼう
    いすみ市太東岬~館山市洲崎
    ※九十九里浜は含まれない

南房総地域

 南房総市みなみぼうそうしが誕生してからややこしくなったが、南房総地域はいすみ市、大多喜町おおたきまち、鴨川市、富津市ふっつし以南地域になる。地理的に市原市いちはらし南部地域や君津市きみつしも南房総地域に含めてもいいと思うけどね。

廃藩置県から現在の千葉県へ

房総26県

 明治4年7月18日[太陽暦1871年8月29日]、廃藩置県に伴い房総26県になる。

印旛県・木更津県・新治県の成立

統廃合

 明治4年11月14日[太陽暦1871年12月25]、統廃合により印旛県(下総国西北部)、木更津県(上総国・安房国)、新治県(成田市の旧香取郡地域を含む下総国東部と常陸国南部)3県になる。

印旛県と木更津県の合併(千葉県誕生)

 明治6年(1873年)6月15日、印旛県と木更津県が合併して千葉県誕生。

新治県廃止(現在の千葉県の形へ)

 明治8年(1875年)5月7日、新治県が廃止され、香取・匝瑳・海上かいじょう3郡が千葉県に編入し、猿島・結城・岡田・豊田の4郡と相馬郡・葛飾郡の一部が茨城県に編入し、同年8月30日には江戸川以西の葛飾郡の一部が埼玉県に編入し、現在の千葉県の形になる。

千葉県市町村行政区画図

余談:陸奥国と出羽国

 東北地方は青森・岩手・宮城・福島4県が陸奥国むつのくに奥州おうしゅう)、秋田・山形2県が出羽国でわのくに羽州うしゅう)だった。明治維新後、以下のとおり分割された。

旧陸奥国

  • 陸奥国(青森県、岩手県の一部)
  • 陸中国りくちゅうのくに(岩手県・秋田県の一部)
  • 陸前国りくぜんのくに(岩手県・宮城県の一部)
  • 磐城国いわきのくに(宮城県・福島県の一部)
  • 岩代国いわしろのくに(福島県)

旧出羽国

  • 羽後国うごのくに(秋田県・山形県の一部)
  • 羽前国うぜんのくに(山形県)
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