学徒出陣と言えば『征く学徒、東京帝国大学以下七十七校○○名。これを送る学徒九十六校、実に五万名』の実況ではじまる、雨の明治神宮外苑競技場での出陣学徒壮行会の行進映像が放送される。
この映像は、東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県の大学・高校・専門学校の壮行会で、他地域の学校の壮行会は、台北(台湾)、京城(朝鮮)、新京、ハルビン、奉天、大連(満州国)、東京[二世出陣]、大阪(中之島公園)、仙台、神戸(東遊園地)、名古屋、京都(平安神宮)、上海(中国)、札幌で開催された。
明治神宮外苑での壮行会に参列した大学
- 東京帝国大学(現 東京大学)
- 東京商科大学(現 一橋大学)
- 慶応義塾大学
- 早稲田大学
- 明治大学
- 法政大学
- 中央大学
- 日本大学
- 専修大学
- 立教大学
- 拓殖大学
- 駒沢大学
- 立証農大(現 東京農業大学)
- 日本医科大学
- 大正大学
- 上智大学
- 國學院大学
- 東洋大学
<当時専門学校>
- 東京歯科医学専門学校(現 東京歯科大学)
- 国士舘専門学校(現 国士舘大学)
- 大東文化学院専門学校(現 大東文化大学)
- 二松學舍専門学校(現 二松學舍大学)
- 東京美術学校/東京音楽学校(現 東京藝術大学)
- 東京外国語学校(現 東京外国語大学)
- 東京写真専門学校(現 東京工芸大学)
- 東京体育専門学校(現 筑波大学体育専門学部群)
- 日本体育専門学校(現 日本体育大学)
- 横浜専門学校(現 神奈川大学)
開催日:1943年(昭和18年)10月21日
参列校:77校
学習院の名がない!?
YouTubeにはラジオ実況動画があるが、何度聞いても学習院の名がでてこない。学習院は壮行会に参列していないことになる。
なぜだ?
きだみのる氏著書『にっぽん部落』の「この部落の寺」の注釈には、
(前略)しかし戦争は苛烈になり大学生たちは学習院を除いて総出陣となり、ぼくはこの山寺に置き去りにされ、そのまま庫裡に住みつづけることになった。
と、学習院が学徒出陣から除かれたことを記述している。
学習院は皇族・華族の学校だったから除外されたのか?
調べてみたら、学習院は学徒出陣対象校と管轄省が違うことが分かった。
学徒出陣対象校は文部省管轄
1943年(昭和18年)の徴兵対象者拡大による学徒出陣の勅令が下った学校は文部省管轄だった。
- 主に帝国大学令および大学令による大学(旧制大学)
- 高等学校令による高等学校(旧制高等学校)
- 専門学校令による専門学校(旧制専門学校)
などの高等教育機関に在籍する20歳(1944年10月以降は19歳)以上の文科系および農学部農業経済学科などの一部の理系学部の学生が対象となり、彼らは各学校に籍を置いたまま休学とされ、徴兵検査を受け入隊した。
※Wikipedia『学徒出陣』参考
戦前の学習院は宮内省管轄
戦前の学習院は宮内省管轄の官立学校で、皇族・華族のための教育機関だった。したがって、文部省管轄の学徒出陣の対象外だったのである。
※Wikipedia『学習院大学』参考
皇族男子はすべからく軍人たるべし
そもそも、皇族の本務は軍人だった。1889年(明治22年)に施行された大日本帝国憲法下では天皇が統帥権を持つと定められ、天皇は大日本帝国陸海軍を統べる大元帥だった。ノブレス・オブリージュ(『高貴であるが故の義務』と訳される仏語)を軍人として身をもって示そうとしたのだ。
そして、1873年(明治6年)12月9日の太政官達により、皇族男子の「本務」として軍人になることが皇族たちに明示され、1910年(明治43年)3月に、皇族身位令において明文化(義務化)された。
明治6年12月9日
皇族自今海陸軍ニ従事スベク被仰出候条此旨相達事 但年長ノ向ハ此限ニアラサル事
『皇族今後海陸軍に従事すべきと仰せいだされ候の条 此の旨相達しの事 但し年長の向きは此の限りでない事』
(年長とは、同年1月に発せられた「徴兵令」の記述の中に『満17歳から40歳までの男子を「国民軍」の兵籍に登録』とあるので、41歳以上かな)
※Wikipedia『皇族軍人』参考
明治四十三年三月三日
皇室令第二號
皇族身位令
第十七條
皇太子皇太孫ハ滿十歳ニ達シタル後陸軍及海軍ノ武官ニ任ス
(皇太子・皇太孫は、満十歳に達したる後、陸軍及び海軍の武官に任ず)
親王王ハ滿十八歳ニ達シタル後特別ノ事由アル場合ヲ除クノ外陸軍又ハ海軍ノ武官ニ任ス
(親王・王は、満十八歳に達したる後、特別の事由ある場合を除くのほか、陸軍又は海軍の武官に任ず)
※Wikipedia『皇族身位令』参考
陸軍:28名(朝鮮王公族3名含む)
海軍:20名
合計:48名
※Wikipedia『皇族軍人』参考
学習院のウェブサイトの『歴史』には、
1943(昭和18)年には学徒出陣が始まり、学習院高等科も徴兵年齢に達した在校生や、高等科を卒業して大学に進学した卒業生が召集された。
と、記載されていて、構内には「出陣の碑」が建っている。
華族には軍人になる義務がなかった
華族とは、1869年(明治2年)から1947年(昭和22年)まで存在した近代日本の貴族階級のこと。同年5月3日に日本国憲法施行により廃止される。
※Wikipedia『華族』参考
【皇族】天皇になりうる家系
【華族】天皇になりえぬ家系
※1884年(明治17年)7月7日に施行された華族令により、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の五爵制になる
1881年(明治14年)4月、明治天皇が『少壮の華族はなるべく陸海軍の軍人になれ』と、勅諭(訓示的なもの)を与え、士官学校に特別コースも設けた。しかし、法的義務はなく職業選択の自由も与えられていたので、入学しても中途で辞める者が多く、軍人になった華族はごく僅かだったようだ。
※『大東亜戦争全戦没者慰霊団体協議会』大東亜戦争メモランダム – 第百三十六話「ノブレス・オブジュール」参考
























