携帯電話を使うようになってかれこれ15年。当時はようやく高額の保証料がなくなり携帯電話を持つ人たちが増えだした頃で、わたしも携帯電話が欲しいと持っていたのだか、まだまだ機種料金、基本料金が高かった状況だったので購入できないでいた。
そんなある日の職場で、
「うちの会社(IT企業)で契約すれば、10,000円で購入できますよ」
と、これだけを聞くと胡散臭いくきな臭い臭いがプンプンするが、そんなことはなく、基本料金も負担にならない料金で正規に東京デジタルフォン(現SoftBank)のケータイを購入することができたのだ。
当時のケータイの着信音は「ピ・ピ・ピッ」と言うアラーム音を使う人が多く、帰宅途中のバスの中でわたしのケータイが「ピ・ピ・ピッ」と鳴り出したら、あれ? 自分のケータイかな? と、周りの乗客が一斉に服のポケットやカバンをまさぐる光景を見たことがあった。ケータイが普及し始めた頃の懐かしく面白かった思い出だが、今ではこのような光景を見ることはまずないだろう。
ケータイを手に入れてからは、新しい機種が発売されるたびに変えていたように思われる。特にカメラ付きケータイが出始めてからはより解像度の高いケータイを求め、買い替えが一気に加速したと記憶する。
MNP(携帯電話番号ポータビリティ)なんてなかった時代なのでキャリア(ケータイ会社)が変わるたびに番号が変わり、多いときは年に3回番号が変わり、知り合いからは、
「なんか悪いことでもしているの?」
なんて言われたこともあったが、現在はSoftBankで落ち着いている。
さて、昨日母のケータイの機種変更をした。
10年ほど前に母にもケータイは必要だろうとケータイを買い与え、その後、6年ほど前にキャリアをSoftBankに変えたのに併せて母のケータイも変えたのだが、最近通話中に切れたりすることが多くなり、修理でもよかったのだが、
「もっと簡単に操作できるケータイがいい」
と、母のリクエストあり、ケータイのバッテリーも少し膨らんできていたので『かんたん携帯』に機種変更することにした。
でもね、母はケータイを使うことはほとんどないのだ。毎朝の目覚まし、夜のわたしからの帰るコール、月に1、2度親戚と電話をするくらい、メールも読むのがやっとでメールを打つ行為なんて至難な技で、目覚ましのアラーム設定、親戚の電話番号登録など諸設定はわたしがやったし、電話のかけ方、切り方、マナーモード切替もわたしが教える始末で、要するに母は全身全霊、頭のてっぺんから足のつま先まで機械音痴なんです。
なので、機種変更した『かんたん携帯』も彼女にとっては、
「どこが簡単なのよ!」
ってな具合なのだ。
ただ、母にはケータイは必要ない! 毎月の基本料金+αの支払いが勿体ない! と、忌憚ない気持ちを吐いたところで、今は公衆電話もほとんど見当たらなくなりましたからねぇ。外でいざ電話をしなければならない時は不自由だ。現代ではケータイは必需品のひとつなんだなとつくづく感じる今日この頃である。

















