
京成八幡駅と交差する市道(通称:北京通り)沿いにある小学校の向かい側付近に、お婆さんがひとりで切り盛りしていたカウンター5〜6席の立ち食いそば屋があった。わたしがはじめて立ち食いそばデビューしたお店で中2の時だった。1〜2度しか行かなかったが、しばらくしてこのお店はなくなった。
その後、高校進学前の中3の初春に、京成八幡駅から目と鼻の先の線路沿いに『千成』というカウンター7〜8席の立ち食いそば屋ができ、高校の頃の下校にときどき寄っていた。天とじライス、焼肉丼を思い出すがこのお店も現在はない。
そして、今もわたしは、飽きることも尽きる気配もなく、立ち食いそばを利用している。駅の構内や外出時に立ち食いそば屋があると、そんなに腹は減っていないのに、あの匂いがすると、キャッチバーの呼び込みに唆されたようにしてお店に入ってしまう。柳家喬太郎の言葉を借りて言うならば、『鰹だしじゃない鰹だしの匂い、どこで作ったんだか分からない醤油の匂い、なんとも言えなくこの悪い油で作った天ぷらの匂い』の誘惑に負けてしまうのである。
立ち食いそばの基本は、安さと注文を受けてから即提供するところにある。通勤時や時間に追われているときに5分もあれば十分に済ますことができるからだ。
それなのに近頃の立ち食いそば屋は、生蕎麦をお店で茹でるところが多くなり、注文してからお店の人に、
「麺を茹でていますので、3分ほどお待ち下さーい」
と、言われガックリし、3分と言いながら5分以上待たされることもある。
わたしの気持ちは、「チッ」だ。以前通り製麺所で作られた茹で麺を使い、注文を受けたら、お湯に数秒潜らせ、麺をほぐすだけでいいじゃないか。「高が立ち食いそば、されど立ち食いそば」かも知れないが、旨い不味いは二の次三の次で、まずは腹が満たされればそれでいいのだ。
生蕎麦を使うのであれば、客足を予測して茹ではじめればいいじゃないか。でも、それをしない。作り残しを出さないためなのは分かるが、お客を待たせるのは、立ち食いそば屋として怠慢ではないだろうか。
かつて、JR秋葉原駅の電気街口を出たところに、『ラーメンいすず』というカウンター8席だけのラーメン屋があった。お店の人は大将と従業員の2人だけ。わたしも数回食べたことがあるが、昼時でなくてもお店は満席のときが多く、食券を買ってカウンター席の後ろで並んでいると、大将は、
「どちら?(普通か大盛か)」
と、聞いてきて、自分の順番がきて席に着くと、一息つく間もなく注文したラーメンが出された。わたしの記憶では、醤油ラーメンの普通と大盛しかなかったと思うのだが、間違っていたらごめんなさい。
大将は、今食べているお客の食べ終わる頃合いを見計らって、次に着席するお客の麺をお湯を張った寸胴に投入していた。お店は時間のロスがなく回転率もよく、お客もイライラすることなく、両者がウィンウィンだった。なぜ、生蕎麦を使っている立ち食いそば屋はこれができないのだろうか。
と、言ってはみたものの、最近の立ち食いそば屋は、本来の立って食べる立ち食いそば屋は少なくなり、サッと店に入り、ササッとそばを食べ、サッサと店を出るような早食いの時代ではなくなったようだ。
カウンター席のみならず、テーブル席が用意されてるお店もある。食べ終わった後にカウンター席では、しれっとした顔でスマホをいじって時間つぶしをしているお客もいれば、テーブル席では仲間同士でくっちゃべっている長居客が目立つようになった。茹で時間にイラつくお客は少ないのかもしれない。
食材も調味料も良くなり、そばも天ぷらも中途半端に上品になり、決して安いとは言えなくなった立ち食いそばを食べていると、製麺所で作られたそば粉少々小麦粉大量の腰のないねっとりしたそばと、カラッとなんて言葉は知る由もない、シナッ、ベチャッとしたかき揚げ天ぷらだった昔の立ち食いそばが懐かしく思え、今一度食べたくなる今日この頃である。

















