
20代の頃、小岩のスナックで飲んだ時、わたしたちのテーブルに着いたお店の女の子が、住まいを聞いてきた。
わたしが、
「市川」
と、答えると、女の子は、
「私、高校が市川でした」
と、返してきたので、
「何高?」
と、聞くと、女の子は、
「え〜恥ずかしくて言えない」
と、教えることを躊躇した。
「市川で美味しいお店を見つけた」
と、言われ、
「なんて言うお店?」
と、聞いたら、
「教えてあげない」
と、返されたようなものだ。
「高校が市川でした」と言われりゃ、地元民(当時)としては、会話の流れから「何高?」と、聞くよなぁ。わたしも今だったら、言いたくないことを詮索するような野暮なことはしないが、この時は“恥ずかしい”の一言から第六感が働き、ズバリ高校名を言い当てると、女の子は、
「えー! なんで分かるんですかぁ!?」
と、驚いて、理由を聞いてきたので、
「だって、恥ずかしい高校なんでしょ」
と、返すと、女の子は苦笑いのような照れ笑いのような表情をして笑い出した。
恥ずかしいという意識は、周囲の目から感じる対外的なものと、自分自身が不本意に感じている対内的なものがあり、件の女の子は前者色が強かったかな。


















