松戸市の松戸駅と習志野市の京成津田沼駅を結ぶ鉄道路線。長年「新京成線」として利用者に親しまれてきたが、新京成鉄道が京成鉄道に吸収合併され、2025年4月1日から「京成松戸線」と改称された。
省線が国鉄になっても省線と呼ぶ大人がいた。国鉄がJRになっても国鉄と呼ぶ者もいた。京成松戸線もしばらくは “新京成” と呼ばれるのかな。
「京成松戸線」は、「軍用松戸線」の先祖返りってところですかね。松戸に他意も偏見もないが、京成松戸線は松戸市の8駅より、船橋市の方が9駅と多く、鎌ヶ谷市5駅と習志野市2駅を加えると、松戸市の倍の駅数になる。路線名は一般または社内公募で決めてもよかったのではないだろうか。
さて、新津田沼駅が現在の場所より総武本線津田沼駅寄りだったことは聞いていたが、3度も変わっていたことは知らなかった。
初代 新津田沼駅
1947年(昭和22年)12月27日、新京成電鉄新京成線(新津田沼 – 薬園台間)を開業。現在の駅より300mほど総武本線津田沼駅寄りの場所にあった。

2代目 新津田沼駅
1953年(昭和28年)11月11日、京成津田沼駅への乗り入れを行うために前原 – 京成津田沼間をショートカットするように新線を敷設し、その上に新津田沼駅を移転した。

3代目 新津田沼駅
2代目津田沼駅が総武本線津田沼駅から遠くなり乗り換えが不便になったことで、利用者の不満が噴出した。また高根公団ができて利用者が増えると、沿線デベロッパーからも不便さが取り沙汰されるようになった。
1961年(昭和36年)8月23日、利用者の利便性向上を目的として、前原駅から路線を分岐し、初代の場所に3代目となる新津田沼駅を開業。2代目の新津田沼駅は藤崎台駅に改称した。
このため、行先が「新津田沼行」と「京成津田沼行」が混在し、新津田沼駅と京成津田沼駅の間を移動する際は前原駅での乗り換えを必要とした。

4代目 新津田沼駅
1968年(昭和43年)5月14日、行先が2つあるのは分かりにくいとの利用者の声から、藤崎台駅を通る路線を廃止。
新津田沼駅を京成津田沼駅寄りに移動させ、4代目新津田沼 – 京成津田沼間を開業。初代・3代目の新津田沼駅と比べ、総武本線津田沼駅と若干距離が生じるようになった。

新京成線(現・京成松戸線)の路線図と新津田沼駅の変遷
京成松戸線を利用されている人や鉄道ファンの間では周知のことと思うが、線路は旧陸軍鉄道第二連隊の演習線(軍用松戸線)を利用した。このため京成津田沼 – 松戸間の直線距離は16キロだが、路線距離はクネクネと曲がりくねって26.5キロにもなる。但し、演習線全てを利用したのではなく、未転用部分もあった。

©昭和時代の新京成電鉄(著者:石本祐吉)
初代・3代目新津田沼 – 京成津田沼間の線路は新規敷設
初代・3代目新津田沼 – 京成津田沼間の線路は新京成電鉄が敷設したもの。「鉄道連隊演習線の路線図」の通り旧演習線を利用したものではない。


まとめ

©動く路線図 / フクオカのそら@YouTube
余談:大江戸線
都営地下鉄「大江戸線」の名前は、都営地下鉄12号線路線名称選考委員会が一般公募をした。そして、第一候補に「東京環状線」(愛称として「ゆめもぐら」)が挙げられたが、東京都知事(当時)の石原慎太郎が、
「何回まわっても同じ所に戻ってくるのが環状線。なんでこれが “環状線” なんだ」
と難色を示し、意中の名称は「大江戸線」と明かしたら、鶴の一声だったのだろうか、委員会で大多数の支持を得て「大江戸線」に決定した。























